[3]剣道の目的と効果

剣術から剣道へ

 現代剣道の前身となる防具を着用して竹刀で打突し合う「打込み稽古法」は江戸中期頃に確立され、江戸末期には四つ割り竹刀を用いた現在の形態になりました。しかし明治初期までは「剣道」という言葉はなく、剣を用いた武術は「剣術」とか「撃剣」などと呼ばれていたようです。

 「武道」という言葉が一般化したのは、大正時代のようです。大正3年に当時の警視総監だった西久保弘道氏が、名称は「術」ではなく「道」でなければならないと提唱しました。

 やがて大日本武徳会が本格的に教員養成に乗り出し、大正8年に西久保氏が武徳会副会長兼武術専門学校長に就任したのを機に、「武術学校」を「武道学校」に改め、これに伴い大正15年に文部省の「改正学校体操教授要目」で「剣道」「柔道」「弓道」の名称が正式に使われるようになりました。

 西久保の主張は「武道の稽古は神聖にして侵す可らざるものであるから、単に技術が上達すればよいとか、礼儀は戦いには無用であるといった考えが起きないような、「道」と言う名称に変更しなければならない」というものでした。

 しかし、これより前の明治15年に嘉納治五郎師範が講道館柔道を創始した際に、すでに「柔道」の名称が用いられており、全剣連のウェブサイトによりますと、剣道界においても「大正元年には剣道という言葉が使われた大日本帝国剣道形(のち日本剣道形となる)が制定された」とあります。

 この大日本剣道形の制定には、当時東京師範学校の校長を務めていた嘉納治五郎師範が大きく関わっておりますので、この折の「剣道」という言葉の採用の陰にも、その嘉納師範の影響が強く働いていたものと思われます。

 いずれにせよ、当時、剣術や撃剣と呼ばれていたものをあえて「剣道」と呼び、「大日本帝国剣道形」を制定したのは、それなりの意味を持ってのことだと考えられます。

 「剣道形」に関する考察は、次の日本剣道形編において詳しく述べさせて頂きますが、この章では、「術」から「道」へと発展していった「剣道」の本来の目的についてもう少し深く考えてみたいと思います。

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道と術

 剣道や剣術に用いられている「道」と「術」という言葉については、かつて静岡の井上義彦範士にお目にかかった際に、範士より大変興味深いお話を伺ったことがあります。剣道の目的を考えるにあたって、まずはその内容をここに紹介してみましょう。

 仁と礼を根本概念とした「論語」で知られる孔子の「儒教」が、日本の武士階級における学問として、政治や思想理念に大きな影響を与えたのはご承知のとおりです。

 この儒教の最も基本的な教えをしるした書物「五経」の一つに「易経」というものがありますが、この易経に「形而上者謂之道 形而下者謂之器」と記されています。

 これは、「かたちより上なるもの、これを道(どう)といい、かたちより下なるもの、これを器(き)という」と読みますが、分かりやすく言えば、「かたち」という現象として知覚できるものと出来ないものを境目として、それより上のもの、すなわち知覚できないものを「道」と言い、それより下のもの、すなわち知覚出来るものを「器」と言うということです。

 かたちを持っていない、精神的なもの、抽象的なもの、超経験的なものである、宇宙の本体や、世界観、神、霊魂などを研究する学問を、「形而上学」と言うのは、ここから来ています。

 一方、「術」というのは、形而下(かたちより下なるもの)の「器(き)」の一種であると考えられ、形而上(かたちより上なるもの)である「道」に到達する方法、手段とされています。

 「術」という文字は、「朮」と「行」の合成文字で、「朮」はヨモギ類の草の名です。すなわち我々人間が形而上(かたちより上)にある「道」に到達すべく、ヨモギの生えたような路(みち)をテクテクと歩み行く「行路」を「術」というわけです。

 ここから、「術は邑中(ゆうちゅう/邑はムラとも読みます)の路(みち)なり」という言葉が出てきます。
\r\n これが、井上範士から教えていただいた「道と術」に関する考え方ですが、わかりやすく言えば、「道(どう)」は目的であり、「術(じゅつ)」は手段です。そして、手段としての「術」を行使する場所が「路(みち)」であるということになります。

 現代では、一般に「道(どう)」を「路(みち)」と同じ意味にとらえて、「道」も目的に向かう「途中の課程」であると考えられてしまうことが多いようです。しかし、「道」本来の意味は、「目的」であり「途中の課程」ではありません。

 たとえば、「道路」という言葉がありますが、これは「道(どう=目的)に向かう路(みち=課程)」という意味ですから、その途中にあるものは「路面」「路肩」「路傍」であり、「道面」「道肩」「道傍」とは言いません。

 「道端(みちばた)」も、道へ向かう発端という意味で、場所としては途中の「路」であり、本来は「路端」と書いてもよいものだと思いますが、訓読みではどちらも「みち」と読んでしまうために、長い間に混同されてしまったものと思います。

 こういうことから考えますと、「剣道」というのは、「剣術を修練する課程としての路」の意味合いではなく、「剣術を修練した結果、最終的に行き着く道(目的)」という意味合いで考えなければならないでしょう。

 すると、全剣連の剣道の理念も、

 「剣道は、剣の理法の修練による人間形成の道である」という表現を、
 「剣道は、・・・人間形成の手段である」と捉えるのではなく、
 「剣道は、・・・人間形成を目的とするものである」と捉えなければなりません。

 剣道を人間形成の手段とするのか、人間形成そのものに向かう目的とするかについて、微妙な差があると思うのですが、私としては、単なる「手段」であれば、敢えて剣道である必要はなく、他の武道でも他のスポーツでも人間形成は図れるのではないかと思います。

 剣道家が剣道をやる意味は、先人によって育まれた剣の思想が最終的に到達した境地、すなわち剣の修行によって切り開かれた最終境地を自らの人間形成の最終目的とするところにあるのではないかと考えます。

 そのため、現代において「武術(剣術、柔術)」に対して「武道(剣道、柔道)」と言った場合には、単に「戦(いくさ」に勝つための「武技」を修練して「術技の上達(手段・過程)」をはかるばかりではなく、その修練を通して「人間的な価値ある目的(道)」を目指すものが「武道」であると捉えるべきでしょう。

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剣道における防御

 最近、中高生ばかりではなく、時には全日本の舞台でも見ることのある、例の独特の防御法があります。三箇所避けなどと呼ばれることもありますが、左手を挙げて竹刀を頭上にかざし、面と右小手と右胴を同時にカバーするという防御法です。

 多くの先生方がこういう防御法は邪道であると口々に非難するのですが、いっこうに無くなる気配はありません。
 ところで、杖道をやったり見たりしたことのある人なら気がつくかもしれませんが、あの防御の構えは、右手を逆手に持ち替えるだけで、杖道における基本的な技である「繰付」「繰放」の前半部分にそっくりです。

 杖道では杖を頭上にかざし、剣におよそ1尺ほど勝るその長さを利用して、杖の先端で振りかぶった剣の柄や手首を下から押さえます。このときの体勢や杖の使い方が、例の防御法と非常に似ています。

 「棒状の得物を使って剣の打ち込みを防ぐ」という観点で見れば、この防御法はある意味非常に理にかなったものであるとも言えるわけです。ですから、試合という、「打った、打たれた」を争う場にあっては、いくらダメだと言われても、なかなかこの防御法が無くならないのも、無理からぬことなのかもしれません。

 では、防御法という観点では非常に理にかなった方法であるのに、剣道ではこの方法を邪道とするのはどういう理由からなのでしょう。

 竹刀は棒や杖ではなく刀剣の代用品であるという考え方からでしょうか。それとも左手を挙げた構えは正眼を基本とする剣道の構えに反するからでしょうか。

 いろいろ理由を考えている内に、ふと気がついたのは、そもそも剣道には防御法、つまり守るという考え方が非常に希薄なのではないかという点です。

 そこで剣道における「攻撃と防御」という視点から、剣道修練の意義とその目的を考えて行きたいと思います。

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武士の精神

 他の多くの武術・武道が、基本的に自らは技を仕掛けない「後手必勝」を信条としているのに対し、剣道ではなぜか「攻めろ、攻めろ」と相手に先をかけて積極的に攻め込むことを奨励されます。

 そのため剣道の思想は、戦前に軍国主義に利用されてしまった経緯があり、現代でもこれを戦争に直結して考えたがる人が出て来てしまうのが少々困ったところです。

 しかし剣道には、守るより攻めよ、攻撃は最大の防御なり、という考えが非常に強くあるということも事実です。

 では、なぜ剣道がこういう攻撃的?な思想を持つに至ったのか。この辺のところを昔の武士が置かれていた状況から推察してみましょう。

 よく時代劇などで、腕の立つ主人公が路上で悪役の浪人者や悪代官の手先などをバッタバッタと斬り倒す場面があります。とてもカッコが良くて小さい頃にあこがれたものでしたが、あのシーンが必ずしも真実でないことは誰もが分かることでしょう。

 現代はもちろんですが、江戸の時代であっても路上で真剣を抜いて立ち回りなんかやったら必ず罰せられます。今よりも法律が厳しく喧嘩両成敗の世の中ですから、まかり間違えば真剣を抜いたというだけで、改易、切腹、で家禄を失うことになりかねません。ですから昔の武士はむやみやたらに真剣を抜いたりはしませんでした。

 では、真剣を抜いて戦うのはどんなときだったのでしょう。それは、当時二度と起こるかどうか分からなかった「合戦」の他には、「上意討ち」と「仇討ち」を加えた三つの場合に限られていました。

 そしてこれらの場合に共通して言えることは、「合戦を勝利に導き」「主命を果たし」「家の名誉を守る」という、その「使命」を果たすことが第一義であり、それは命を懸けても成し遂げねばならぬことであったということです。

 言い換えれば、使命を果たさずして生き残るということはあり得なかったわけで、戦いに際しては「自分が生き残る」ことよりも、「使命を果たす」ことを最優先しなければなりませんでした。

 つまり武士が真剣を抜いたときには、それはほとんど自らの死を意味していました。しかし死をもってしても肝心の目的を遂行しなければそれは単なる犬死に終わってしまいます。真剣を抜く以上は自分も死ぬけれども確実に相手も殺し、その使命・責務を全うし、自らの死と引き替えに名誉を守る。これが当時の武士の置かれていた状況だったわけです。

 このような状況に置かれていた武士の日頃のたしなみ、精神鍛錬の方法として剣の修行があったことを考えれば、武士にとっての剣術は、我が身を「護る」護身の術としてではなく、死してなお使命と責務を全うし、自らの名誉を「守る」ための、「武士の覚悟」として修練されたのではないかと推察することが出来ます。

 剣道の思想に防御の概念が希薄なのは、このような理由によるものと考えることができるのではないでしょうか。

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剣の理法と人間形成

 先に、剣道の修練目的は「機会を捉える」ための訓練という定義づけをしてみました。

 しかし、せっかく打突の機会(チャンス)を捉えても、いざ打つ段階で我が身を守ることを考えていたのでは、思い切った打突は出来ません。これではチャンスを逃してしまうことになってしまいます。

 ですから剣道は「守る」という考えを持つことを否定しているのだと思います。

 剣道に限らず、ここがチャンスだというときには、失敗を恐れず、自分の持てる力を全て出し切ることが大切です。剣道はその修行を通して、このことを私たちに教えようとしているのではないでしょうか。

 更に考えてみれば、一瞬のチャンスに全力を投入できるためには、そのチャンスがまさに的確であるという確信を持てなければなりません。あやふやなチャンスには簡単に乗れないわけで、そもそもそれはチャンスと言えません。

 すなわち、チャンスというのは他人が作ってくれるのを待っていてはダメなのです。他人が作ってくれたものはチャンスではなく「誘い」や「罠」である可能性もあるわけです。

 ですからチャンスは「待つもの」ではなく「自ら作り出すもの」というのが鉄則です。

 チャンスを作り出すためには、事前にあらゆる情報を的確に収集し分析する能力が必要です。

 そしてその分析結果を基に自ら積極的に行動し、自らの手でチャンスを作り出し、今こそ真のチャンスであると確信を持てる瞬間を捉えたら、あとは失敗を恐れず全力を投入します。

 ただし、いくら身を捨ててかかったとしても、「あとは野となれ山となれ」ではなく、自ら起こした行動にはその成否を別にして最後まで責任を持ち、その結果を油断無く見守りながら次のチャンスをうかがうことも大切です。

 これは、「剣先によるさぐり合い」によって相手の情報を得、「中心の攻め」によって自ら積極的な行動を起こし、「相手を崩して」チャンスを作り出し、その「一瞬の機を捉えて」、決して失敗を怖れず「思い切った打突」をし、その結果に最後まで責任を持って油断なく「残心」をとるというように、剣道で教えられることと全く同じです。

 剣道によって身に付くものはたくさんあります。たとえば「健康な体」「旺盛な気力」「礼節」「信義」「誠実さ」「人を敬う心」などがあります。

 しかし剣道によって一番学ぶべきことは、「自ら積極的に行動してチャンスを作り出し、そのチャンスを的確に捉えて、思い切った行動をし、その結果をまた次のチャンスに結びつけて行く」という、人間として最も基本的な生き方(活き方)なのではないでしょうか。

 そして、これこそが剣道の稽古を通して身につけるべき「剣の理法」であり、人間としての生き方、すなわち「人間形成」へと繋がる剣道修錬の目的であると考えます。

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まとめ

 もともとは殺人技術であった剣道は、その発展過程において、いかに死を超越して生に至るかという重要な課題を持って、単なる技術論から人間の生き方に関する心法に昇華して行きました。

 そして武士にとっての剣は、一旦緩急があれば藩のために国のために命を捧げることを求められていた武士の日頃のたしなみとして修練され、その修練を通して、いついかなる場合にも全てにおいて失敗を恐れずに全力で対処することができる「剣の理法」を身につける手段となったわけです。

 この「剣の理法」こそが「人間としての生き方」の基本的道理であり、その修練を通して、人間としての「活きる術(すべ)」を身につけることができるからこそ、剣道がたどり着いたものは「活人剣」であり、その修練によって「人間形成」がはかれるものであると言えるのだと思います。

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