[1]剣道形の意義

剣道形の実情

 剣道を始めて1~2年ほど、子供ならば小学校の高学年か中学生くらいになった頃に、必ず直面するのが「日本剣道形(以下、剣道形と称します)」の稽古です。

 指導の先生から1級の審査、あるいは初段の審査を受けるためには、この「剣道形」を覚えなければいけないと言われ、先ずは1本目から「形の手順」を打太刀・仕太刀に別れて習うことになります。

 それまでは防具を着けて竹刀を持ち、基本となる中段の構えからの「メン」「コテ」「ドウ」などの正しい打ち方を一生懸命に修練してきた人たちにとって、初めてとる上段の構えや、それまでに習ったこともない「ツキ」技などを、普段持ち慣れた竹刀ではなく、短く湾曲した木刀を使って行うことに、少なからず戸惑いを覚えるのではないでしょうか。

 そしてそこから、必ずや「剣道形って何のためにやるの?」という疑問が沸いてくるのではないかと思います。


全解・日本剣道形 (武道教本 (2))


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剣道形の効果

 日本剣道形は、旧大日本武徳会が大正元年10月に制定したものを、昭和56年12月に日本剣道連盟がその表現を現代的に書き改めて制定した解説書によっています。

 これは剣道の技術の最も基本的なものを選んで組み立て、その理合を集約したものであると言われ、これを十分に活用すれば実際の稽古試合にも応用できるものとされています。

 そして剣道形講習会などでも、これを確実に演練することによって、次のような効果を得られると教えています。

   1,礼儀正しく落ち着いた態度が身につく。
   2,姿勢が正しく動作も機敏になる。
   3,相手の気持ちや動作を観察する観見の目が養われる。
   4,技術上の悪癖を取り除き正しい技が身に付く。
   5,正しい刃筋や手の内を修得して正確な打突が身に付く。
   6,正しい間と間合の取り方が上手になる。
   7,打突が正確になり残心が会得できる。
   8,気が練れて気合や発声が充実し機敏軽妙な動作が身に付く。
   9,心と技の理合が会得できる。
  10,気位が高まり気品や風格が備わる。

 ところが現実には 現在の剣道競技の規定では短い小太刀の竹刀など使えないのに小太刀の形が3本もあったり、一般的な剣道の打突動作は上級者になればなるほど手首や肘を主体とした小さく素早い打突方法が求められるのに、剣道形では両腕を大きく振りかぶる動作をしたりと、剣道形を現代の竹刀の剣道に活かすどころか、その違いばかりが目立ってしまい、かえって戸惑ってしまう人の方が多いのではないでしょうか。

 このため、剣道形の稽古は昇段審査の直前に、そのかたちと順序を追って数度練習するだけで、実際に上記のような効果を形の演練によって得るという実感は少ないのではないかと思います。


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剣道形の素朴な疑問

 多くの剣道家にとって「剣道形」の稽古がおろそかになりがちなのは、「剣道」における動作と「剣道形」における動作が、一見全く違うもののように思えてしまい、竹刀による「打ち込み稽古」と木刀による「形稽古」との具体的な共通点が見いだせないからだと思います。

 そのために、いくら剣道形の稽古を積んでも、その効果が直接的に剣道の上達には繋がらないように思われ、その修練に身が入らないのではないでしょうか。

 そこで、先ずは多くの人たちが感じているであろう「剣道形」に対する「素朴な疑問点」について思いつくままに列記してみます。

 剣道形の1本目は「相上段」から始まります。これにはどのような理由があるのでしょうか。

 確かに高校生以上の試合で上段の構えは認められておりますが、あくまで剣道の基本は中段にありとするならば、本来なら「形」の1本目は相中段である方が自然なはずです。

 相上段の試合などは、高校生どころか、一般成人の試合でも滅多にありません。しかも昇級審査や昇段審査をうける小中学生も、現在はこの1本目の形から始めなければならないのです。

 小中学校では、事実上「上段」が禁止されているにもかかわらずです。

 また、この相上段、打太刀は剣道でも普通に行われる左上段なのに対し、仕太刀は右上段です。なぜ、打太刀と仕太刀の上段の構えが違うのでしょうか。

 更に、この相上段から、打太刀が面を切りに行くのはなぜなのでしょう。

 わざわざ刀柄によって守られている面を切りに行かなくても、空いている胴なり、左右の小手なりを切った方が合理的です。

 しかも、打太刀が仕太刀の面を切りに行って抜かれたあと、前屈みで頭を差し出した無様な体勢になります。

 剣道では、打突後に体勢を崩してはならぬと教えられます。

 たとえ思いっきり切り下ろしてそれを抜かれたとしても、前屈みにならず腰を入れてしっかりとした体勢を作るのが正しいのじゃないでしょうか。まして打太刀は師の位のはずです。

 このように、剣道形はちょっと考えるだけで矛盾だらけのように見えてしまいます。

 ですから、この矛盾をきちんと解明しない限り、現代剣道家にとって剣道形の修練に身を入れるというのはなかなか難しいかもしれません。


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形の目的と分類

 「形稽古」と言うと、多くの人たちは「流儀の創始者によって工夫された剣の技をあらかじめ定めた順番にしたがって何度も反復練習するもの」と考えるでしょう。

 ちょうど竹刀によって基本技の練習をする「約束稽古」を竹刀ではなく木刀や刃引きの日本刀を用いて行い、それを実戦さながらのスピードで修練することによって精妙な剣の技を身につけるものと考えるはずです。

 そのため「形稽古」で習い覚えた「技」は、そのままの「かたち」で竹刀稽古にも応用が出来、またそうせねばならぬものと思ってしまいます。

 ところが、「形」にはこのように剣の技を直接伝えるものばかりではなく、基本的な剣の理合やその流儀の考え方、更には流儀の目指す境地や思想などを「剣の形」にして伝えようとしたものも数多くあります。

 たとえば二天一流には有名な「五方の形」というものがありますが、この「形」は二天一流の「剣技」そのものを伝えているものではなく、武蔵が目指し到達した兵法の原理原則や基本的な考え方を表現しているものとされています。

 ですから「五方の形」の「かたち」のみを真似てみても、そこに武蔵の兵法の神髄を見い出すことは出来ません。

 「五方の形」は、日頃からの厳しい竹刀の修練と併せて稽古したときに、初めてその「形」に内包されている剣の真理が見えてくるものなのです。

 このように「形」には、それが伝えようとしている内容とその目的によっていくつかの種類があります。

 そこで、私はこれを目的別に三つに分類してみました。

 その1つは、剣の「術技」そのものを伝えようとする「形」です。

 敵がこのように斬ってくれば、こちらはこのように対処するというような剣の「わざ」を直接的に教えるもので、一般的に「形」というとこれを指すことが多いと思います。

 これを「剣の術技(わざ)を教える形」という意味で「剣〈術〉形」として分類します。

 2つ目は、剣の基本的な理合、例えば「間合」や「先」などに関する考え方、あるいは「攻め」の要諦などを教えようとする「形」で、「五方の形」にはこのような内容が随所に含まれています。これを「剣の理合を教える形」という意味で「剣〈理〉形」として分類します。

 3つ目は、流儀としての剣に対する考え方や修行によって至る境地・目的などを表現している「形」です。

 多くの流派の場合、「奥伝」や「秘伝」「裏の形」などとしている場合も多く、その流派で長く修行を積んだ人以外には伝えられていない場合もあるでしょう。

 「剣に奥表なし」とする武蔵は、この内容も隠すことなく「五方の形」に込めて伝えています。

 これを「剣の道理や目的を教える形」という意味で「剣〈道〉形」として分類してみます。

 以上のように、「形」が伝えようとしている内容と目的によって、これを3つに分類してみました。

 「形」によってはこれら3種の内容を単独に有しているものもありますが、2つないし3つが複合している場合も多く、その中でどの内容を主としているかによって「形」の性格が変わって来ます。


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