[2]剣道形の理合

剣術形から剣理形へ

 日本剣道形の1本目から3本目までを、剣の術技(わざ)を教える「形」、すなわち「剣〈術〉形」として見みてみましょう。

 すると、1本目は相上段からの「メン抜きメン」という「わざ」になり、2本目は相中段での「コテ抜きコテ」、3本目は下段からの「ツキ返し二段ヅキ」という、竹刀剣道ではおよそ考えられない何とも不思議な「わざ」となってしまいます。

 特に1本目において、打太刀が上段に構えた仕太刀に対し、いきなり足下まで斬り下ろすような打突動作をすることは、剣の理合から言ってどうにも納得できないものです。

 相上段に構えた相手のメンは、刀柄によって守られていると同時にその剣はいつでも振り下ろせる位置にあるわけです。

 剣の理合に従うのなら、相手の構えが崩れていないのにもかかわらず、いきなり足下まで斬り下ろして前のめりになるような斬り方は無謀としか言いようがありません。

 本来ならしっかりと身体を起こした状態で、切っ先は仕太刀の拳を切った位置で止めるような「斬りつけ」をしなければならないはずです。

 現に2本目では、打太刀は足下まで斬り下ろすようなことはせず、仕太刀のコテを斬りつけた位置で剣先を止めています。

 そこで、この剣道形の1本目というのは、剣道における相上段の攻防や上段からの打突の方法を教えているものではないと考えられます。

 では、何を教えようとしているのか。

 それは1本目を「剣〈術〉形」としてではなく、剣の理合を教える「剣〈理〉形」として、見直してみることによって、その教えが浮かび上がって来ます。



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1本目「間合」(敵より遠く、我より近く)

 剣道形を「剣〈術〉形」ではなく「剣〈理〉形」と見ることによって、剣道形1本目における相上段の不思議な攻防の意味が見えてきます。

 すなわち、剣道形1本目が教えているものは「上段からのメン打ち」という「わざ」ではなく、剣道で最も基本とすべき「間合」の測り方とその大切さです。

 間合に関しては、一般に「一足一刀の間合」を基準として、それより「遠い間合」「近い間合」というものを教わるはずです。

 そしてこの間合を正しく知るために、初心者の段階では互いに中段に構えた際の剣先と剣先の交わり具合によって、これを測る方法を教わるでしょう。

 しかし、常に剣先を合わせなければ間合を測れないようでは困ります。本来の間合というものは、剣先によって測るものではなく、相手と自分との相対的な距離感を持って測れるようにならなければなりません。

 そこで剣道形の1本目では、師の位である打太刀が、弟子の位である仕太刀に対して「間合」の正しい測り方を教えるために、わざわざ剣先を合わせることのない上段に構え、仕太刀が剣先によって間合を測りにくい状況を作ります。

 同時に仕太刀に対しても中段の構えからそのままの気位で真っ直ぐに振りかぶらせ、互いに剣先を合わせて間合を測ることをしないように要求します。

 ここで、打太刀は師の位ですから剣道で通用する正しい左上段の構えをとりますが、弟子の位である打太刀に対しては、この段階でそこまでの要求をせず、ただ中段の構えから通常の打突動作と同じように真っ直ぐに振りかぶっただけの構えをとらせます。

 このため打太刀が左上段、仕太刀が右上段というように、双方が若干異なる構えになるわけです。

 余談になりますが、このことを良く理解しないままに指導者があたかも剣道には剣道形の仕太刀が構えるような「諸手右上段」という構えが一般的に用いられるかのごとく教えてしまうと、初心者は上段の構えに対する混乱を生じてしまいます。

 剣道形における「諸手右上段の構え」は、あくまで剣道形において間合を教える上での便宜上の構えであり、剣道で一般に用いられる上段の構えは、打太刀がとる「諸手左上段の構え」、若しくは左右の手を入れ替えて、右手右足前で左上段と全く逆のかたちで構える「右諸手上段の構え」であることを、きちんと教えるべきでしょう。

 さて、打太刀、仕太刀の双方が上段の構えで剣先を合わせない状態のまま「一足一刀の間合」まで歩み寄ります。仕太刀は剣先で測らなくても、きちんとこの間合をとって打太刀と対峙できるようにならなければなりません。

 打太刀は、仕太刀が正しく一足一刀の間合を測って制止し、いつでも上段から振り下ろせる先の気位を見せたら、これを「機」と見て大きく右足を踏み出し、同時に剣先を遠くに振り出すようにしながら足下まで斬り下ろし、仕太刀に対して打太刀の剣先が届く最大の間合を教えます。

 ここで間合の最大値を教えるので、打太刀の体勢は思い切り踏み込んだ前屈みの姿勢になります。

 一方の仕太刀はわずかに体を引いて、その剣先をぎりぎりのところで見切る間合を知り、更にそこから一歩踏み込んで自らの剣先が打太刀の頭上に届く間合を知ります。

 これにより、打太刀は前のめりに大きく体勢を崩すほどの踏み込みをしているにも関わらず、仕太刀はこれほどの大きな踏み込みをしなくとも打太刀のメンを打つことができる、いわゆる「敵より遠く、我より近い」という間合の妙味を会得します。

 このように、剣道形1本目は「間合」の攻防を教える「剣〈理〉形」であると考えることによって、打太刀、仕太刀が相上段に構えること、打太刀が右足を踏み出しながら前のめりに大きく足下まで切り下ろす刀法をすること、仕太刀が右上段という特殊な構えから後ろに下がって抜き、更に前に出て打太刀の面を切ること等々、さまざまな疑問や矛盾に対しても論理的な説明ができるようになります。


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2本目「正中線」(表裏の攻防)

 同じように2本目についても考えてみましょう。

 剣道形2本目は、打太刀が中段の構えから仕太刀のコテを斬ってくるのに対し、仕太刀は体を左後方に捌いてこれをかわし、更に前進して打太刀のコテを斬っています。

 ここで最初の打太刀の動作を厳密に「コテ斬りの術」としてみた場合、打太刀は身体を左に捌きつつ踏みだし、仕太刀の鍔を避けて、斜めから小手に対してより直角に近い角度で斬り付ける方が合理的です。

 ところが2本目の形では、打太刀は真っ直ぐに前に出て、仕太刀の刀身沿いぎりぎりにコテを斬ってゆきます。これでは術理上は仕太刀の鍔に当たってしまう可能性が高くなります。

 このことから、打太刀の動作は必ずしも「コテ斬りの太刀筋」を教えているものではないということが考えられます。ならば、打太刀はどこを斬っているのでしょうか。

 実は、打太刀は自らの「正中線」を斬って見せているのです。

 「正中線」というのは、自分のあるべき位置、向いている方向、相手との関係における前後左右の間合など、その全ての基準となるべきものです。

 ですから、相手のあるべき姿の基準を知ること、そして自分自身の今ある基準を知ること。これを知ることが、真に「敵を知り己を知る」ことになります。

 したがって、剣道形2本目が教えようとしているのは、打太刀のコテ打ちに対する「コテ抜きコテ」という「わざ」ではなく、剣道の理合として「間合」と並んで非常に大切な「正中線」に関する教えであると考えることができます。

 師の打太刀は、コテ打ちという「わざ」をもって、実は自らの正中線を斬って見せます。

 弟子の仕太刀は、その正中線斬りを左後方への最小限の体捌きによってぎりぎりかわし、更に仕太刀自らの正中線を真っ直ぐ斬りに行きます。

 その結果、これがコテ打ちという「わざ」となってかたちに現れます。

 こうして、打太刀は自らの正中線を斬ってみせることで、仕太刀に正中線の位置と大切さを教え、仕太刀は体を斜めに捌くことによって1本目で学んだ前後の間合の見切りに加えて左右の見切りを知り、更には相手の正中線から外れたところに身を置きながらも自らの正中線上から相手を外さないようにし、その正中線上で技を遣うという、「正中線」を基準とした剣道の攻防の要諦を学びます。


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3本目「中心」(打突の機会)

 剣道形三本目は、打太刀が真っ直ぐに水月を突いて来るのに対し、仕太刀は左手と剣先を正中線から外さないようにしながら、いわゆる「なやし入れ」という方法で、ふところ深く誘い込んでから真っ直ぐに突き返します。

 これも、打太刀と仕太刀による相互の「ツキわざ」を教えるものではなく、剣道における「攻め」の根幹となる「中心」の取り合いの大切さとその方法を教える「剣〈理〉形」と見ることができます。

 ただし、ここで言う「中心取り」には二つの意味があります。

 一般に、「中心を取る」と言うと、ほとんどの人は「剣先で相手の中心(正中線)を攻め合うことだ」と理解している場合が多いのじゃないと思います。

 そして互いに中心を取り合うための剣先の争いこそが剣道における「攻め」そのものであるとし、この攻め合いの中に剣道の意義を求める人も少なくないでしょう。

 そのため、一足一刀の間合で互いに剣先を合わせ、相手の竹刀を横から押さえて中心を取り合う光景を見かけます。

 しかし剣道形三本目で、仕太刀が打太刀のツキをなやすとき、剣先を左に外して横から押さえるようにしてはいけないという注意を受けた方も多いのではないでしょうか。

 つまり、剣先で中心を取るという動作で大切なことは、剣先を上下左右に動かして、相手の剣先を押さえたり払ったりして中心を取るのではなく、剣先を中心に置いたまま、真っ直ぐ前に攻め入ることによって、結果的に相手の剣先がこちらの中心から外れてしまうようにし向けることなのです。

 その上で、「中心を取る」ということは、このように「剣先で相手の中心を攻める」という「かたちの上での中心の取り方」の他に、もう一つ「時間軸上での中心の取り方」があります。

 これを「打突の機会」と言い、昔から「三つの許さぬところ」と教えられています。

 剣道形三本目では、打太刀は仕太刀に対してその水月を突き、仕太刀は「なやし入れ突き」によって突き返します。

 これが「技が尽きたところ」を打つという一つ目の打突の機会です。

 つまり、打太刀の技が技として「かたちに現れたとき」とその技が「効力を発するとき」の中間点で、ここをひとつの中心として捉えることが出来れば、相手の「技」はその効力を発する前に封じてしまうことが出来ます。

 ここで仕太刀が技を出せば、それが「応じ技、返し技」ということになります。

 一般に、ここを捉えて打つことを「後の先」あるいは「待の先」と言っています。

 最初の突き技を返された打太刀は、かろうじて右足を引きつつ右鎬で受けて仕太刀の突きをかわし、さらに左足を引きながら剣先を下から回して左鎬で仕太刀の剣を支えて構え直し、素早く反撃に転じようとします。

 しかし、仕太刀はそれを許さず、さらに打太刀のその出がしらを突きます。ここが「出がしらを打つ」という、二つ目の打突の機会です。

 つまり、打太刀が構えという「静」の状態から、打突という「動」の状態に切り替わる中間点。あるいは「攻撃」という言葉の「攻(せめ)」から「撃(うち)」に変化する瞬間と言い換えても良いかも知れません。

 ここを中心として捉えることが出来れば、相手の「動き」を封じることが出来、ここで仕太刀が技を出せば、それが「出鼻技」になります。

 一般に、ここを捉えて打つことを「先の先」あるいは「体々の先」と言います。

 反撃を封じられた打太刀は、さらに数歩下がって間合を切り、いったん体勢を立て直そうとします。

 それに対して仕太刀は間合を切らせないように素早く追い込んで、打太刀に反撃の体勢を取らせず、その打ち気を削いでしまいます。

 これが「居着いたところを打つ」という、三つ目の打突の機会です。

 人は、何かに対応して行動を起こそうとしたとき、頭の中で「こうしよう」と考える前に無意識的な反応動作が先行します。ハッと息を呑む瞬間です。

 頭で考える前者を顕在意識、無意識的反応の後者を潜在意識と言う場合もありますが、この無意識(潜在意識)から有意識(顕在意識)に切り替わる瞬間、ここを中心として捉えることが出来れば、相手の「打ち気」を封じることが出来ます。

 そしてここを打ち込めば、まさに相手の居つきを打つ「先制の技」ということになります。

 ここを捉えて打つことを「先々の先」あるいは「懸の先」と言っています。

 このように、三つの打突の機会を「中心」として、それを取り合う攻防の基本原則をかたちに現しているのが剣道形三本目であると考えられます。

 以上、「間合、正中線、中心取りが、剣道の攻防における基礎的理合として大切なものである」ということを教えるのが剣道形1~3本目だと理解すれば、上段やツキ技など、小中学生で禁止されている技が入っているにも関わらず、これを初心者から修練すべき剣道形としていることも納得できるのではないでしょうか。

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