武徳会制定形
前頁では、日本剣道形の1本目から3本目までについて、これまでの剣道形解説書とはちょっと違った視点から見つめ直してみました。
この頁では、引き続き4本目以降について考察してみます。
剣道形制定の経緯を見ますと、前頁でも述べたとおり、1本目から3本目までは、明治44年に文部省が旧制中学校に撃剣教育を取り入れる際に開催した講習会用に作られたものですが、4本目以降は文部省とは別に、当時の武徳会が制定したということになっています。
制定時の原文を読みますと、1~3本目が、構えを上段、中段、下段という呼称で統一しているのに対し、4本目以降には「晴眼」という言葉も登場してきていますので、こちらの形は、文部省制定形の3本を卒業した、より上級者向けに編まれたらしいことが想像できます。
[上へ]
陰陽五行説
剣道形1本目から3本目までと比べて、4本目以降で特徴的なのは、その「構え」です。
1本目~3本目は、打太刀と仕太刀の双方が原則的に同じ構えなのに対し、4~6本目は、それぞれが別々の構えをとっています。
そこで、先ずはこの「構え」について考えてみます。
剣道形太刀7本の形に用いられている構えは大きく分けて5通りあり、それらの構えは「陰陽五行説」という一定の法則に拠っていると言われています。
陰陽説というのは、物事を陰と陽の2つの面に分けて捉える考え方です。すなわち「光あるところに陰がある」ということです。
そして、この陰と陽は絶対的なものではなく、あくまで相対的なものとされています。
例えば、昼間のロウソクの灯りは陰ですが、暗闇のロウソクは陽になります。
この陰陽の考えを剣道の構えに持ってきたとき、一般には上段が陽、下段が陰と考えられがちですが、陰陽説では通常、下方へ向かう運動を「陰」とし、上方へ向かう運動を「陽」とするところから、上から下に向かって攻め下ろす構えの上段が陰となり、下から上へ攻め上げる構えの下段が陽となります。
そこで、まずはこの陰陽説に従って四~六本目の構えを見てみます。
○四本目、打太刀が八相に構えるのは「陰」の構えです。そこで、仕太刀は八相に対して「陽」の構えとなる脇の構えで対応します。
○五本目、打太刀が上段の「陰」の構えで向かってきますので、仕太刀はこれを下から迎え撃つ「陽」の構えとなる中段で応じます。
○六本目、打太刀は「晴眼」(中段よりやや剣先が高く両眼の間につけた構えと考えます)に構えるので、仕太刀はこれを「陰」と見立てて、「陽」の構えとなる下段に構え、下から攻め上げます。
打太刀は、仕太刀の攻めにこらえきれずに、更なる「陰」の構え、上段に変化します。そこで仕太刀は上段に対応する「陽」の構えとなる中段に変化させます。
以上が、陰陽説に基づいた構えの考え方ですが、これに五行説の考えが組み合わさります。
五行説とは、ご存じの方も多いと思いますが、中国の占いなどに良く出てくる言葉で、よくお正月の頃に本屋さんで生まれ年による一年間の占いの本を買うと見かける、事象を、木、火、土、金、水の5つに分けて捉える考え方です。
五行説に剣道の構えを対応させる考え方は、流派によっていろいろ異なるようですが、今にち一般的に考えられているのは、次のようなもののようです。
上段 ・・・ 火の構え
中段 ・・・ 水の構え
下段 ・・・ 土の構え
八相 ・・・ 木の構え
脇 ・・・ 金の構え
更に、五行説には五行相克説というのがあります。
これは火に対してはそれを消す水が強く、水に対してはそれを吸い取る土が強く、土に対してはその上に立つ木が強く、木に対してはそれを裂く金が強く、金に対してはそれを溶かす火が強いという考え方です。
そこで、この五行相克説の考え方に4本目~6本目の構えを当てはめてみると、以下のようになります。
4本目、打太刀が「木」の構えである「八相」をとるので、仕太刀は「金」の構え「脇」で応じる。
5本目、打太刀が「火」の構えである「上段」をとるので、仕太刀は「水」の構え「中段」で応じる。
6本目、打太刀が「水」の構えである「中段」をとるので、仕太刀は「土」の構えである「下段」で応じ、打太刀が「火」の構えである「上段」に転ずるので、仕太刀は「水」の構えである「中段」に変化する。
以上が、剣道形4~6本目についての、「構え」に対する考え方になります。
[上へ]
4本目「相面」
剣道形4本目は、打太刀は八相の構え、仕太刀は脇構えで互いに歩み寄ります。
ここでの両者の構えは、先にも書いたように陰陽五行説に則った5つの構えのうち、残る2つの構えを紹介することにあります。
すなわち、1本目から3本目までにおいて、すでに上段、中段、下段という3つの構えを紹介していますので、4本目では残る2つの構えである「八相」と「脇」を紹介しています。
その上で、4本目の形が教えようとしていることは、剣道修練上最も基本となる「相メン」の稽古の大切さです。
前編にも書いたとおり、剣道の技法は「初太刀による顔面攻撃」であり、剣道の稽古は互いの顔面攻撃、すなわち「相メン」の稽古から始まります。
このことを剣道形4本目は教えているのです。
剣道形4本目の演練の際、「八相」と「脇」は、互いに相手の剣の長さが分からない構えだから、打太刀、仕太刀共にこれを警戒して双方が小さく歩み、遠間から剣を打ち出して頭上で切結ぶと教えられる場合があります。
しかしこれは正しくないと考えます。たとえ敵の剣の長さが分からなくとも、自分の剣の長さは分かっているはずです。
自分の剣が届かない間合から打ち出す行為は無駄打ちであるばかりか非常に危険な行為です。
それこそ相手の剣が自分の剣より長ければ、自分が空振りして相手の剣に打たれる可能性があるわけです。
ですから正しい4本目は、一足一刀の間合から打太刀が仕太刀の顔面を狙って斬りつけます。
すなわち切っ先で相手の眉間を斬り付ける太刀筋で確実に顔面を打ちに行かなければなりません。
仕太刀は、その顔面攻撃に対して自らの体勢を崩さず、1本目で学んだ教えを活かして「間合」を見切り、同時に2本目で学んだ「正中線」を守って、自らも打太刀の顔面を攻撃します。
これが「相メン」の稽古です。
もちろん、初心者においては安全性を考慮してある程度の間合を取って打つように指導することも必要でしょう。
しかし熟達してくれば相手の打ち込みを紙一重で見切る技術をこの4本目の形を通して体得して行かなければならないもとの思います。
互いに正中線を守って顔面に打ち込んだ太刀は鍔と鍔が競り合うほどに深く交差して切り結ばれ、刀身の鎬と鎬を削るようにしながら正中線を奪い合います。
しかし、このままでは次の攻撃に移れないため、打太刀は中段になりながら注意深く身を引いて間合を取ろうとします。
この呼吸は、竹刀の剣道において鍔競り合いから別れる際の呼吸にも共通するものであろうと思います。
双方の鎬を削る争いから、打太刀は身を引いて現況打開をはかろうとするのに対し、仕太刀は3本目の教えに従って1歩も引くことなく、むしろ逆に身を入れて中心を攻め取ろうとする気配を見せます。
このため打太刀は一度は引いて間合をとった身を再び前に出して対抗し、仕太刀の剣を巻き押さえ、擦り込むようにしながら突き返して中心を取り戻そうとします。
この瞬間を仕太刀は見逃しません。すかさず体を捌いて巻き返したため、打太刀は仕太刀の右肺を突くようなかたちで前方に身体を泳がせてしまい、仕太刀はそのメンを打って勝ちを収めます。
宮本武蔵が詠んだと言われる、
切り結ぶ 太刀の下こそ 地獄なれ 一足進め されば極楽
という教えがここに見られます。
このように、剣道形1本目~3本目で学んだ「間合」「正中線」「中心攻め」という剣道の基礎的な理合をもとにした「相メン」の稽古法と刀身の鎬の活用法、更には剣道では原則として決して下がらず前に出るという心構えを説いたのが、この4本目の形であると考えることができます。
[上へ]
5本目「応じ」
剣道形五本目は、左上段に構える打太刀に対し、仕太刀は剣先を打太刀の左拳につけた中段(平晴眼)の構えで応じます。
文部省が制定した1本目から3本目までの形が、「正」「仁」「勇」の理念のもと、剣道修練の目標とそれによってたどり着く人間的な境地を段階的に表現しているのに対し、武徳会が定めた4本目以降の形は、熟達度に応じた具体的な剣道の修練方法と修得すべき術理上の目標を教えていると考えられます。
そして、5本目の形は、4本目における「相メン」の修練を経た結果として、その次の段階となる先々の先の気位で行う「応じ技」の術理の教えです。
先にも書いたとおり、剣道の修練は、初太刀によって互いに相手の顔面を攻撃する「相メン」の稽古から始まります。
「相メン」の稽古を通して「打突の機会」と「見切り」の技術を十分に修得すれば、剣道の修練は次の段階へと進んで行きます。
すなわち、相手の初太刀の顔面攻撃を、こちらが正しく見切って体勢を崩さずにかわすことが出来れば、次の瞬間にはそれを相手の体勢の崩れとして、こちらの「二の太刀」(技としてはこちらにとって最初の一撃かもしれませんが、局面としては対処してから打つということで二の太刀と考えられます)で仕留めることができます。
これが返し技とか擦り上げ技などに代表されるような、いわゆる「応じ技」です。
打太刀は、上段の構えから4本目のときと全く同じように仕太刀の顔面を狙って斬りつけます。仕太刀は、4本目で学んだ「見切り」の技術を持って、打太刀の打ち込みをかわし、同時にやはり4本目で学んだ刀身の「鎬」を十分に活用させて、この打ち込みを摺り上げ、逆に打太刀の頭上に斬り込みます。
このように、4本目の発展として、十分な見切りと鎬の活用を持って応じ技を教えているのが剣道形5本目となります。
前編でも述べましたが、「打突の機会」や「見切り」を十分に修得していない段階で、安易に受けて返す「応じ技」で対処してしまうことは、結果的に我が身を守って打とうとする「逃げ」の気持ちに繋がってしまう可能性が高いため、指導者によっては、初心者が「応じ技」ばかり使うことや、上位者に対して自ら打たずに相手の打ちを待って打つ、いわゆる「待ち剣」となってしまうことを厳しく戒める場合が多いと思います。
剣道を単に「スポーツ競技」として捉え、一定のルールのもとで打突ポイントを競って勝敗を決めることのみを目的とするのならば、それぞれのレベルに応じた「応じ技」を身につけることも大切かもしれません。
しかし、結局その技はそのレベルの相手にしか通用しないものです。
ですから、逆にその技を覚える段階で、剣道の技術で非常に大切な「機会の捉え方」や「見切り」の修得が疎かになってしまう可能性が高いとしたら、これはもったいない話です。
そのため、実際の剣道修練において、剣道形4本目から5本目の術理に移行して行く段階での指導者の果たすべき役割と責任は非常に大きなものだと考えます。
[上へ]
6本目「三殺法」
剣道形6本目は、5本目における「応じ技」の理合を踏まえた上で、剣道における最も重要な「攻め」の教えに入って行きます。
剣道形5本目の修練を通して「応じ技」で確実に対処できるようになれば、相手の攻撃が恐くなくなります。
すると、こちらの「心」と「構え」に大きな余裕が生まれ、それが相手に対する「攻め」となって活きてきます。
そこで、この「攻め」を「かたちに現れない初太刀」として活用することにより、今度は相手の体勢ばかりではなく、その「構え」や「心」を崩すことができるようになります。
6本目では、打太刀は中段に構え、仕太刀は下段に構えます。
ここで、剣道形全般において、打太刀が始動して仕太刀はこれに従うとなっていながら、この6本目では打太刀が中段のまま動かないのに、仕太刀が先に動いて下段の構えを取ることに疑問を持つ人も少なくないのではないでしょうか。
これは、陰陽五行説に基づく構えのところでも説明したように、打太刀の中段の構えを「陰の構え」と見立てて、仕太刀はそれに対応する「陽の構え」として下段にとると解釈することで理解できます。
実は、現在の剣道形解説書では、打太刀の構えは「中段」となっていますが、武徳会制定時の原文では「晴眼」という表現になっています。
晴眼というのは両眼の間に剣先をつけた構えとされていますので、現行の中段の構えよりはほんのわずか剣先が高くなった構えと考えられます。
つまり6本目の構えを制定時に立ち返って厳密に考えるなら、打太刀は中段の構えから剣先をほんのわずか上げて「晴眼」の構えになるので、仕太刀はこれに対応して剣先を下げた下段の構えをとるということになります。
時折剣道形の演練の場で、打太刀が仕太刀の下段の構えなるのに応じてわずかに剣先を下げる動きを目にすることがありますが、前記の理合を知れば、この動きが間違いであることが理解できると思います。
さて、打太刀中段、仕太刀下段で間合に接し、打太刀が攻め入ろうとしたところを、仕太刀は下段から気で攻め上げてゆきます。
打太刀は、仕太刀のこの気攻めを上から制しようとしますが、仕太刀の攻めの気力が鋭いため制しきれなくなり、右足を引いて間合を外しながら上段に振りかぶって「構え」を変化させます。
ここで仕太刀が最初の気攻めのままに打って出れば、打太刀は「待ってました」とばかりに上段からの技を繰り出すところです。
ところが、仕太刀は一気に間合を詰めると同時に平晴眼に構え、5本目と全く同じ状況を作って打太刀による上段からの技を封じてしまいます。
「気」の攻め合いに負け、更に上段からの「技」まで封じられてしまった打太刀は、更に左足を引きながら中段に戻って仕太刀を誘い込もうとします。
ここでセオリーどおりに仕太刀が追い込んでメンに跳べば、打太刀は、その出鼻をコテに斬ってとる腹づもりです。
しかし、仕太刀はあくまでめ冷静に攻め、その攻めに反応して鋭く出ゴテに斬って来た打太刀の「剣」を「得たり」とばかりに応じて摺り上げ、逆にコテに切り込みます。
これが、「気を殺し」「技を殺し」、最後には「剣を殺し」て勝つという「三殺法」の教えです。
少々蛇足ですが、全日本選手権で連覇を続けていた頃の宮崎選手が時折見せる技で、相手がほんのちょっと下がったところを、ススッと追い込んで2回ほど竹刀を押さえるようにしながらメンを打つ戦法がありました。
見ていて「なんで相手はあのメンを避けられないのか」と不思議な気がしたものですが、これがこの6本目の「三殺法」の理合に非常に近いものじゃないかと思います。
宮崎選手は、互いの気攻めに打ち勝って相手が小さく下がりかけたところを攻め入ります。
この時に最初の気攻めのままに打ってゆけば、相手はすかさずコテやドウの返し技で反撃してきますが、このとき宮崎選手は素早く相手の竹刀を押さえ込みながら攻めてゆきますので、相手は応じ技を出せなくなってしまいます。
そこで、技が出せなくなった相手が更に間合を切って立ち直ろうとしたところを、もう一度竹刀を強く押さえ込んで剣を殺しながら大きく攻め入り、そのままメンに跳びます。
まさに「気を殺し、技を殺し、剣を殺し」て打つ「三殺法」ではないでしょうか。
もっとも、言葉で書くのは簡単ですが、試合のさなかに、瞬時にそして無意識にこれだけのことが出来るのは、やはり宮崎選手の天才性なのでしょう。
さて、6本目における仕太刀のコテ斬りは、2本目のように打太刀のコテを斬り落としてしまうようなものではなく、浅く傷つけて制するだけのものです。
ですから打太刀は軽傷を負いながらもこれに屈せず、左後方にいったん大きく退き、再び体勢を整えて反撃を試みようとします。
しかし仕太刀は間髪を入れず打太刀が逃げた方向に追い込んで上段に構え、体を崩して横向きの姿勢になった仕太刀を自らの正中線上に捉えて反撃を許しません。
打太刀は向き直って中心を取り返すことができないままに仕太刀の射程圏内におかれてしまうため、もはや反撃の機会を逸してついに敗北を認めざるを得ません。
また余談になりますが、最近の中高生等の試合を見ますと、出ゴテや引きゴテを打ったあと、相手に対して横向きになったまま、竹刀を左肩に担ぐようにして「コテ、コテ、コテっ!」と叫びながら審判に自らの打突をアピールする光景がよく見られます。
しかしこの肩に担いだ竹刀を下段に下ろすと、これはまさに6本目で打太刀が負けたときの体勢そのものです。
自らの正中線上から相手を外してしまうような残心は、本来あり得るはずがありません。
試合での打った打たれたばかりが重視される昨今、残心の本当の意味合いと審判へのアピールを混同してしまっている若い剣士も多いように思います。
剣道形6本目の演練を通して、こういうことを教えてゆくことも必要なのではないかと思います。
以上のように、剣道形6本目は「攻め」の基本原則としての「三殺法」の理合を教えると共に、つねに相手の先をとって、先手・先手と攻め続けることの大切さを教えていると考えられます。
更に、先の4本目と5本目が、一本目と同じように、敵を殺して、あるいは殺さぬまでも重傷を与えて勝っているのに対し、この6本目では軽傷を負わせるのみで勝っています。
このことから1本目から3本目に盛り込まれていた剣道修練の目標である「活人剣」の考え方が、4本目以降にも継承されているらしいことが伺えます。
このことを踏まえて、引き続き7本目の考察に入って行きたいと思います。
[上へ]
7本目「活殺自在」
剣道形7本目は、6本目で教えた「三殺法」の応用として、更なる高度な「攻め」によって、相手を引き出して仕留める「活殺自在の剣」を教えています。
7本目では、打太刀は仕太刀の中心を攻め、仕太刀が一歩下がったところで攻め勝ったと判断してメンを打ちに行くわけですが、実は、仕太刀は打太刀の最初の攻めを「剣前体後」(剣は前に、身体は後ろに)という方法で、打太刀の剣を下から支えながら小さく下がり、打太刀がメンを打ちやすい状況を作って、メン打ちを誘います。
つまり相手の中心攻めに対して、こちらの剣も前に出すことによって相手の攻めの剣を引き出し、その剣を下から支えることによってメン打ちの技を引き出し、さらに小さく下がることによって相手の打ち気を引き出しています。
ここでの「剣前体後」という「かたち」は、そういう「技」という意味ではなく、「相手に攻められたように見せかけながらも、実は相手を攻めていて、逆に相手の攻めの気持ちを自分の手のひらの上で踊らせている」というような心と心の戦いの状況を「剣の形」で表現したものと考えた方が良いでしょう。
相手を自分の思いのままに引き出すことに成功した仕太刀は、十分な余裕を持って打太刀のドウを抜くことができます。
このドウ打ちは、自分の手の内の加減一つで、相手の胴を両断して即死させることも、帯一枚を切るだけで終わらせることも出来ます。いわゆる「活殺自在」であり、この時点で相手の命すらも手の平に乗せていることになります。
ドウを抜かれた打太刀は、向き直って仕太刀と剣先を合わせても、すでに反撃する気力を失ない、仕太刀の慈悲によってかろうじて命を拾い得たことに感謝し、元の位置に帰って刀を納めるしかありません。
大日本武徳会の定めた剣道形7本目は、「相手を引き出す」という、剣道における究極の「攻め」を教えると同時に、「活殺自在」の太刀筋と手の内によって、最終的には敵を殺さず勝つという境地を表現しています。
そしてこれは、先に文部省の講習会において制定された1本目~3本目に込められた剣道修練の目標とすべき考え方とも全く共通するものだと思います。
[上へ]