[5]小太刀の意義

現代剣道における小太刀の使用

 現代剣道では、竹刀の長さの上限と重さの下限が規定されています。そのため規定の条件を満たす小太刀の竹刀を制作することは物理的に難しく、現実には剣道の試合において小太刀を使用することはありません。

 このことから剣道形における小太刀3本の形についても、竹刀による稽古との具体的な関連性を見出せないまま、その稽古がおろそかになりがちなのではないでしょうか。

 また、剣道界の一部には「そもそも現代剣道において、小太刀の形は必要ないのではないか」という意見さえもあるようです。

 日本剣道形における小太刀3本の形は、現代剣道の中でどのような意義を持つものなのか。

 この疑問をまずはしっかりと解き明かさなければ、小太刀の形の稽古に身を入れて取り組むことができないでしょう。


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二刀における小太刀の使用

 先に、現代剣道において小太刀の使用はできないと書きましたが、実は唯一小太刀を使用できる方法があります。それは二刀の場合です。

 全剣連の竹刀の規定では、二刀を使用する場合に限って、長さ62センチメートル以下、重さ280グラム~300グラム(男性の場合)の短い竹刀の使用が認められています。

 では、二刀において小太刀はどのような意義を持っているのでしょうか。

 二刀というと、その独特の構えから「両刀使い」などと蔑まれ、「右でなければ左を使い、左がだめならまた右を使う」というような二股をかけて戦う剣法のように誤解されてしまいがちです。

 しかし宮本武蔵が提唱した「二刀流の真意」は、「武士ならば、命をかけるときには、利用できる武器や道具を全て使い尽くせなければならない」という「全材活用主義」に基づくものでした。

 すなわち、大小2本差しの武士が、長い太刀1本にこだわって戦い、腰に小太刀を残したまま死んでしまっては、全力を出し尽くしたとは言えないだろうというのが武蔵の考えです。

 いざというときのためには一切のこだわりを捨て、所持する武器を最大限に活用できる能力。これを日頃の鍛練によって身につけることこそが武士の道であるという、武蔵独特の兵法理念を象徴した姿が二刀流だったのです。

 剣道を単に定められたルールの中で行う運動競技と見るならば、使用できない小太刀の修練を積むことは無駄かもしれません。

 しかし、これまで述べて来たように、剣道は「活人剣」を目指し、その修練を通して「人間形成」を目的とするものであると捉えるならば、武蔵の言うように、太刀の長短に対するこだわりを捨て、長い太刀も短い小太刀も同じように扱える能力を養うことは武士の道そのものなのです。

 こうした視点で、剣道形の小太刀3本を見て行くと、あえて現代剣道に小太刀の形を残した意味も見えてくるのではないかと思います。

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長短一味

 一般に長い太刀に比べて短い小太刀は不利のように考えられがちですが、長い武器には長いなりの長所と短所があり、短い武器にも短いなりの長所と短所があります。

 これらの長所・短所を自分の心の中にわきまえ、それぞれの長所を活かし短所を補えば、手に取る太刀の長さを論ずる必要はなくなります。

 すなわち心の活用によって、太刀の長短によって生ずる長所や短所を自在にコントロールできるようになれば、長い太刀も短い小太刀もその長さを気にすることなく同じように扱えるのです。

 これを長短一味と言います。

 そして、この長短一味をさらに突き詰めてゆくと、最終的には武器を持たずして敵を制する「無刀の心」に行き着きます。

 敵を傷つけずに制する「活人剣」を目指し、その修練によって「人間形成」を図ろうとする剣道の理念に基づけば、この無刀の心こそが現代社会における剣道修練の究極の目的であると言っても過言ではないでしょう。

 そういう意味で、剣道形の小太刀の稽古は、太刀の稽古を十分に積んだ上で、更なる高みを目指して剣道の最終目的に至る最も重要な道筋であると言えるかもしれません。


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入り身

 日本剣道形太刀7本の形の解説書を読みますと、7本全てにおいて、互いに間合に接したとき、打太刀(6本目は仕太刀)が「機を見て」技を仕掛けるという理合になっています。

 しかし、小太刀3本の形の場合には、全て仕太刀が「入り身になろうとする」のに対応して打太刀が行動を起こします。

 つまり技を起こすきっかけとなるのが、太刀7本は、打太刀が「機を見て」であるのに対し、小太刀の場合は仕太刀が「入り身になろうとする」からなのです。

 つまり、小太刀の形の要(かなめ)は「入り身」であると言えます。

 短い小太刀は長い太刀に比べて間合の面で不利と考えられますが、長い刀も短い刀も敵に斬り込むその物打ちは太刀先3寸とされています。

 ですから、この3寸を避けて長い太刀の内懐に入り込めば、短い小太刀にも勝機が生まれます。

 長い太刀を持つ打太刀の、その間合の内に入るのは非常な恐怖ですが、その恐怖を乗り越え、身を捨てて入り身になろうとする仕太刀に対して、入り身をさせまいとする打太刀との、互いの心の長短の張り合いが、太刀の長短を超えた戦いを生み出します。

 そして小太刀3本の形では、心の長短の戦いに勝った仕太刀が勝利をおさめる理合が示されています。

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真・行・草

 小太刀には、昔から「真・行・草」の心を持って遣えという教えがあります。

 「真・行・草」というのは、日本の芸道における精神的な段階を表すものと考えられおり、それぞれ次のような意味を持っています。

 「真」というのは書法における楷書に相当するものです。一字一画もゆるがせにない油断のない心です。

 剣道では、堂々として寸分も隙のない厳重な構えから、相手に少しの余裕も与えずに、「直ちに斬って捨てる態度」を表現しています。

 「行」は行書に相当します。字画も柔らかい日常生活の感覚で、「真」を実際の状況に応じて臨機応変に行う心です。

 剣道では、相手の変化と技を「いったんとがめて、その後斬り捨てる態度」を表現しています。

 「草」は草書に相当します。無構えのように心広くゆったりのびのびした気分で超然とした心です。

 剣道では、相手の技を「十分尽くさせて、敵に従って勝つ態度」を表現しています。

 剣道形の小太刀3本を修練するにあたっては、このような精神的な段階を十分にわきまえておくことも大切でしょう。

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小太刀1本目「真」

 小太刀1本目は「真」の心です。相手の打ちに対して「直ちに勝つ」理合で行います。

 仕太刀は、打太刀の諸手左上段の構えに対して、相手の拳を斜めに切るような心持ちで中断半身に構えます。一瞬の油断もない堂々とした態度で進み、間合に接するや相手に少しの余裕も与えず直ちに入身になる攻めを見せ、打太刀に正面を打たせます。

 ここで大事なことは、間合に接したときに一瞬たりとも居着かないことです。

 時折、小太刀の演武において、太刀の場合の演武と同じように双方が間合に接した後、しばし静止をしてから機を見て打太刀が面を打つのを見かけることがありますが、小太刀一本目は「真」ですから、仕太刀は打太刀に少しの余裕も与えないよう、間合に接すると同時にそのまま入り身になって攻めなければなりません。

 打太刀の間合に接したところで立ち止まって居着けば、長い太刀を持つ打太刀にその長さの利を与えてしまうことになります。

 小太刀の理合は、常に仕太刀が先をとって入り身になろうとし、その入り身の攻めによって、そうはさせじという打太刀の行動を誘うのです。

 打太刀の正面打ちに対しては、仕太刀は右に開きながら右手を頭上に上げ、刃先を後ろにして左鎬で受け流して打太刀の面を打ちます。

 ここで少々余談ですが、この小太刀一本目の動作を竹刀を用いて実践してみたことはあるでしょうか。

 たとえば二刀の場合の小刀を用いて竹刀で小太刀一本目の形と同じような受け流しを行うのはなかなか難しいものです。

 特に竹刀を用いた自由な打ち込み稽古の中でこの小太刀の技を再現しようとすると、そのタイミングが難しく、頭上に竹刀を持って行くのが早すぎると簡単に裏をかかれてしまいます。

 そこで、この小太刀の技を成功させるには、相手の面打ちに合わせて思い切って内懐に入り込むと同時に、右手を頭上に伸ばしていったん相手の竹刀を小太刀の右鎬で迎えるようにすり受け、そこから直ちに手首を返して左鎬に受け流すという、やや複雑な技術が必要になってきます。

 実は、高野左三郎先生と中山博道先生が演じた剣道形のフィルムの中で、中山先生がそのような小太刀の使い方をしているように写っており、以前に剣道関係のインターネット掲示板でも話題になったことがありました。

 現行の剣道形解説書には載っていない動作ですが、小太刀の稽古をするに際して、こうしたことを研究してみるのも面白いのではないかと思います。

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小太刀2本目「行」

 小太刀2本目は「行」の心です。相手の打ちを「とがめて勝つ」理合で行います。

 仕太刀は、打太刀の下段構えに対して、中断半身に構えます。互いが間合に接し、打太刀が剣先を上げて中断になろうとするところを入身になって太刀を制し、打太刀の行動をとがめます。

 しかし、打太刀は脇構えに開いて間を切ろうとしますので、仕太刀はさらに入身になって攻め、打太刀の行動をもう一度とがめます。

 それにもかかわらず、打太刀は諸手左上段に変化して面に打ち込んでくるので、仕太刀はその太刀を、今度は頭上に表鎬で迎えつつ右鎬に受け流して面に斬りつけ、さらにその後の変化に応じるため相手の二の腕を制して残心を示します。

 ここでも、1本目と同様に、相手の面打ちの太刀を今度はいったん表鎬で迎えて、直ちに手首を返して裏鎬に受け流すという遣い方を研究してみましょう。

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小太刀3本目「草」

 小太刀三本目は「草」の心です。相手の打ちをあくまで制し「相手に従って打たずに勝つ」理合で行います。

 仕太刀は、打太刀の中段の構えに対して、無構えの心持ちで下段半身に構えます。打太刀が前進しようとする歩みの先を制して、無構えのまますたすたと入身になろうとするので、打太刀は間髪入れずに諸手右上段に振りかぶって仕太刀の正面に打ち下ろします。

 仕太刀はこれをすり上げ、すり落とし、なおも入身になろうと打太刀の中心を攻め続けるため、打太刀は面に打ち込むことができずにやむなく体を開いて胴に打ち込みます。

 しかし、仕太刀はそれも左鎬ですり流し、そのまますり込んで鍔元を押さえ、さらに入身になって二の腕を押さえます。

 打太刀はたまらず引いて逃れようとしますが、仕太刀はそのまま超然として攻め続け、最後には剣先を相手の咽喉部に付けて残心を示します。

 小太刀三本目で大事なことは、打太刀はどこも傷つけられていないということです。全ての技を出し尽くし、それらを全て制せられて精も根も尽き果てて完敗します。

 しかしどこも傷つけられてはいません。

 それでも仕太刀は相手のどんな行動にも余裕を持って対応できるよう最後の最後まで超然とした攻めの心を持ち続けています。

 そのため、小太刀二本目の場合には、仕太刀は残心を示した後に相手の刀身を上から押さえるようにしながら右足から元の位置に戻りますが、小太刀三本目の場合は、相手の咽喉部につけた小太刀の剣先を決して動かさないようにして、打太刀の喉元を制したまま、左足から元の位置に戻ります。

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おわりに

 大正元年に制定された「大日本帝国剣道形」は、当時の日本が日清戦争・日露戦争に勝利し、戦争への道をひた走りに走り始めた時期であったにも関わらず、剣道修練の最終目標である活人剣の思想、ひいては日本人の持つ平和強調の思想を見事なまでに剣の形として表現していると思います。

 制定に際しては、当時剣術諸流派の影響がまだ色濃く残っており、各流各派のそれぞれの思いが様々に交錯する中にあって、多くの妥協を余儀なくされたと伝え聞いていますが、結果的には現代にも通じる素晴らしい剣道形となっており、制定に携わった先生方の偉大さに心から敬服する思いです。

 戦後復活した現代剣道は、どちらかというと剣道の持つ思想について語ることをタブー視し、ひたすらスポーツ競技としての技術論にのみ執着する傾向があるようです。

 そのため剣道形も細かな所作ごとだけがクローズアップされ、単に昇段審査に合格するための手段として技術的な指導しかされていないのが現状です。

 これまでの剣道形に関する考察は、あくまで私個人の考えであり、未だ修行途上にある者ですから必ずしも正しくない部分もあるかもしれません。

 しかし本論をきっかけに、より多くの方々が剣道形に興味を持ち、剣道形に関する理解と考察をさらに深めて下されば嬉しく思います。



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