[5]上段の構えと技

上段の研究

 私が子供の頃は、剣道の上段全盛時代でした。

 全日本選手権では、戸田選手、佐山選手、千葉選手といった上段の選手が活躍し、まだ学生だった川添選手が上段で優勝を果たしたときは、幼な心に大きな感動を覚えたものでした。

 しかし、昭和54年の全剣連規則の改正に際し、

 「剣道は中段の構えが基礎であり、基礎が不十分であるのに試合で有利であるという点で、上段からの片手打ちをするものが多くなった。剣道は中段でするのが望ましい」

 このような理由を持って、上段に対する胸突きを認めるルール改正(悪?)がなされ、これによって全日本選手権を始めとする各種大会での上段の選手の活躍は瞬く間に消え去ってしまいました。

 平成7年、この胸突きルールはようやくに廃止され、元の健全な姿に戻されましたが、およそ16年間に渡る実質的な上段排除の試合規則は、日本の剣道からその自由度を失わせ、結果的に一刀中段のみによる昇段審査至上主義の思想を蔓延させ、剣道本来の目的をかえって偏らせ、見失わせることになってしまったのではないかと危惧しています。

 現在でも、次代の日本剣道界を担うべき中堅どころの指導者たちが、上段技を正しく指導できないばかりか、未だに上段を異種・邪道と捉えて上段修行者を非難したり、上段との稽古を拒否したり、挙げ句の果てには審判をするに当たって、自分の使えない上段技の見極めが出来ずに旗を上げられないという状況があることに、大変残念な思いをしています。

 そこで、現在子供たちを指導している、あるいは今後指導することになるであろう若き指導者の皆様に、一般常識としての上段技の基本と理合、そしてそこに内包される剣道の思想を知っていただきたく、この章を作成してみました。

 誤解しないでいただきたいのは、基礎がまだ十分に出来ていない子供や初心者に対して、積極的に「上段を教えろ」と言っているのではありません。

 むしろ、そういう人たちが見よう見まねで誤った上段技を身につけることのないように、いつでも正しい上段を教えられる知識を、多くの方々に知っておいていただきたいということです。


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胸突きルール

 そもそも、胸突きが有効とされたのは、上段が勝ちすぎるからという理由だったわけで、胸突きができたのは、上段の構え(若しくは二刀の場合)に対してのみでした。

 昭和54年の規則改正の際の「改正要点解説」の中では、「上段とは、上段をとってから下すまでのこととする」と記されており、上段の選手であっても、中段に構えている際には、胸突きは有効とされず、中段の構えに対して故意に胸突きをすると、改正前と同様に、注意・反則を取られる場合がありました。

 先にも書きましたように、全日本剣道選手権において、昭和37年と39年に戸田忠男選手が、昭和41年、44年、47年に千葉仁選手、昭和46年、50年に川添哲夫選手、と上段選手の優勝が相次ぎました。

 この影響から、高校・大学でも上段ブームが起き、各種大会で相上段の決勝戦なども珍しくない状況になったため、全剣連は、昭和54年の規則改正時に、上段(と二刀)に対する胸突きを有効打突とする改正を行ないました。

 ただ、この規則改正後の数年間は、胸突きに関する審判員の意識統一も不十分で、片手で打った胸突きは一本にならないなど、現実に胸突きルールーが適用される場面は少なかったようです。

 ところが、昭和58年の全日本選手権で、再び上段の東一良選手が優勝してしまうと、とたんに上段に対する風当たりが強くなり、これ以後は上段に対して積極的に胸突きを取る傾向が強まり、上段を遣う選手は急激に減少しました。

 しかし、十数年に渡る実質的なこの上段排除のルールにより、上段そのものが消滅してしまいかねない状況になってしまったことに危機感を抱いた全剣連は、平成7年の規則改正時に、ようやく胸突きルールを廃止して、元に戻しました。

 この折りの理由には、胸突きの危険性の問題、そして当初の胸突き設定の目的が達成されたこと、実技の難易度に対する修錬にこそ意義があるということ、一方にのみ負担をかけるのは規則の趣旨になじまないなどということが挙げられています。

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中段の理合と上段の理合

 剣道は、もともと日本刀を用いた戦いの技術を修練するところから来ています。これは今更言うまでもないことでしょう。

 そこで、人形型の打ち込み台に日本刀の真剣を持たせて、その真正面に立ってみたと仮定しましょう。自分も同じ長さの真剣を持って、この打ち込み台を真正面から斬ることができますか?。

 打ち込み台は全く動かないにもかかわらず、この打ち込み台を真正面から斬ろうとすれば、打ち込み台の持つ日本刀に自分自身も傷つけられてしまいます。

 傷つけられないように斬ろうと思ったら、手を伸ばしたり身体を曲げたりして、自分の姿勢を崩して斬るか、打ち込み台の真正面から斬るのではなく、正面からやや斜めにずれた位置に移動してから斬らなければなりません。

 これは全く動かない打ち込み台を斬るために、自分の方が動かされたり姿勢を崩されたりしてしまうことを意味します。すなわち、真剣勝負では、中段に真っ直ぐ構えて動かなければ、最悪でも相討ちに出来る訳です。

 竹刀ならば先が丸くて恐くないので平気で打ってくる相手もいるかもしれませんが、真剣で相打ちになるのが分かっていて斬ってくる人はいませんね。

 つまり、極論すれば、剣道というのは「真っ直ぐ中段に構えて動かなければ、打たれない」ということなのです。

 言い換えれば、打たれてしまうのは、動いてしまうからです。動いてしまうのは、打たれたくないという気持ちが働くか、打ちたいという気持ちが働いたときです。

 相手が打とうとするときに、打たれたくないという気持ちが働いて手元を上げてしまえば、その浮いた小手に隙が出来ます。逆に小手をかばおうとすれば、剣先が開いて面に隙が出来てしまいます。

 また、動かない相手を打とうと思うと、先に述べたように自分が先に動かなければなりません。その動きを察知されて、動きの逆をとられてしまうと、それもまた隙になります。

 このように、自分は動かずに、相手をいかに動かすか、これを考えるのが「中段の攻め」です。

 今度は、打ち込み台に上段の構えをとらせてみましょう。上段の構えは、こちらに剣先が向いていないので、もしも打ち込み台が全く動かないと確信できたら、空いている胸や胴を自由に突いたり斬ったりできます。

 では、打ち込み台の腕にスプリングのようなものを取り付けて、上段の構えからいつでも瞬時に振り下ろせるような仕掛けを作り、これを上段に構えさせてみましょう。そして、ほんの僅かなきっかけでも外れてしまうようなフックで支えて、いつ振り下ろされるか分からないという状況を作り出します。

 この打ち込み台の胸や胴を突けますか?。

 中段の構えの時の打ち込み台のように、全く動かないのならば自由に突けますが、いつ頭上の真剣が振り下ろされるか分からないという状況では、危なくて突けません。

 いや突くどころか、その打ち間にすら、なかなか入ることが出来ませんし、もしも上段の打ち間に入ってしまったら、いつ振り下ろされるかわからない状況に備えるために中段側は手元をあげてついつい動いてしまいそうになります。

 これが「上段の攻め」です。動かないのではなく、いつ動くか分からないという状況を作って、動くまいとする中段を動かす。これが「上段の攻め」になるわけです。

 動かないということを最良として攻める中段を「静の構え」とするなら、いつ動くか分からないという状況を作り出して攻める上段は「動の構え」と言っても良いでしょう。

 上段の構えが攻撃の構え、火の構えといわれるのも、こうした「攻め」の理由によるものです。


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上段技の導入練習

 一刀中段における構えと動作は、右手右足前による送り足が基本となります。子供の頃から剣道を続けている人ならば、長年培ったこの構えと動作はなんの違和感もなく無意識に行えることでしょう。

 そこで、今度は普段の構えと逆に、つまり左手左足前の中段構えで鏡に向かってみてください。鏡に映った姿が、自分が普段理想としているとおりの構えで立っていますか?。どちらかの肩が上がっていたり、腰の位置が定まっていなかったり、足の向きが違っていたりしませんか?。

 鏡に正しい一刀中段の姿が映っていたら、今度はその鏡を見ながら、素振りをしてみます。先ずは三挙動による基本の素振り、そして二挙動の前後素振り、一挙動の跳躍素振り、さらには左右素振りへと続けて行きます。全てが違和感なく行えますか?。鏡に映った自分の姿が正しい姿勢で素振りを行っていますか。

 指導者の皆様は、この時自分が感じた違和感、そして鏡に映った姿勢の崩れなどをしっかり覚えておくと良いと思います。実は、初めて剣道に取り組む初心者が、竹刀を構えて最初に感じる違和感、姿勢の崩れなどに非常に近いものがあるはずです。初心者が感じるのと同じ感覚を知ることは、その後の指導面でも大いに役立つはずです。

 さて、何度か練習して違和感のない素振りが出来るようになったら、次はその左手左足前の構えで切り返しをやってみましょう。

 左右面の打突部位を正しく力強く打つことが出来るでしょうか?。多くの人は、この時左手が思ったほど効かないのと左足での踏み込みがスムーズに出来ないことに気が付くと思います。

 普段から左手を効かせて、なおかつ左腰を入れて打てと教えられていても、右利きの人はどうしても意識が右手に偏り、バランスのとれた両手の使い方、足捌きなどが分からないものです。

 左右の手を替えて左手左足前での切り返しをしてみることで、打突時におけるそれぞれの手の内の役割の違いと力のいれ具合のバランス、そして左右の腰の入り方と足捌きを再認識してみると良いと思います。


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上段の構え

 上段の構えは、日本剣道形には、右足前でそのまま真っ直ぐ上段に振りかぶる諸手右上段の構えと、左足を前に出し、振りかぶった剣をやや右に傾ける諸手左上段の構えがあります。

 ここでは、現代剣道で一般に使われる「諸手左上段(左諸手左上段)」の構えを中心に話を進めて行きます。

 上段の構えは、人によって千差万別です。構えた姿形自体がその人の体格や体型に左右されやすく、一刀中段よりも個性の出やすい構えと言えるでしょう。実際上段で活躍する選手の構えはなかなかに個性的で、有名選手の上段の構えは、そのシルエットを見ただけで判別出来てしまうほどです。

 自由な剣道を標榜する私としては、上段の構えは「こう有らねばならない」と言うつもりはありません。練習の積み重ねによって次第に自分に合った自分自身の上段の構えを作り上げてゆけば良いと思います。

 ただ、上段における片手打ちの理合の面から、これだけは気をつけたいポイントについて書いておきます。

 1つ目は、半身になりすぎないこと。

 上段の構えをとると多くの人が半身に構えてしまいます。半身になるとどうしても右足が外を向き腰が開いてしまいがちです。

 前頁の「片手打ち」のところでも述べましたが、上段からの打ちは、腰の回転を利用して打ちます。足が外を向き腰が開いていると、この回転力を十分活用できずいわゆる手打ちになってしまい、十分な打突力を得ることが出来ません。

 2つ目は、重心の位置を両足の真ん中におくことです。

 中段ではしっかりとした構えをとれる人でも、上段に構えると重心が左右どちらかの足に偏ってしまい易いようです。

 特に上段を始めたばかりの頃は、振りかぶるという意識から後傾の姿勢になりやすく、重心が右足に寄って反っくり返った構えになってしまいます。そして逆に、ある程度上段に慣れてくると、今度は打ちたい気持ちが先走って、右足が浮いた前のめりの構えになってしまいがちです。

 片手打ちの打突力は竹刀に十分体重を載せることによって生み出します。常に重心の位置を意識し、真ん中に置くように気をつけましょう。

 3つ目は、竹刀を横に寝かせないこと。

 鏡を見て時折構えをチェックしてみましょう。自分ではしっかり竹刀を立てて構えているつもりでも、以外と横に寝てしまっているものです。

 左足を前に出しながらも腰は正面に向け、なおかつ振りかぶった竹刀を立てて構えるという姿勢は、慣れないとなかなか辛いものです。疲れて来るとついつい竹刀が横に寝てしまいますが、これですと素早い打突を繰り出すことが出来ません。

 竹刀を寝かせないコツは、左拳をやや前に出すように意識すると良いようです。竹刀の柄は木刀のそれよりもやや長いので、日本剣道形のときのように左拳を左目の上で約一握り離した位置に置いたのでは竹刀が横に向いてしまいます。そこで、もう少し前方の二~三握りほど離した位置に置くようにすると、比較的竹刀が立ちやすくなります。

 左拳をやや前に置くことは、あとで詳しく述べますが、構え自体を大きく見せることと、左小手を打たれた場合の対処法にも効果があります。

 以上の三点に気をつけながら、鏡に自分の姿を映して研究してみましょう。

 「火の位」と言われる上段の構えは、その構えによって相手を制すると言っても過言ではありません。

 燃え上がるような炎の気迫をその構えによって体現し敵を圧倒出来れば、上段の八割は完成したと言っても良いでしょう。ぜひ自分自身の迫力ある上段の構えを作り上げてみてください。

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色のない打突

 上段からの打突では、速く打とうと思って力を入れれば入れるほど、「左手首で竹刀を振り」、「右手で竹刀を押す」動作になりがちです。そうすると竹刀は左手柄頭を支点に振り出されますので、竹刀の重心はいったん上に上がり、その後に下に向かうような運動になります。

 この重心が一度持ち上がってから降りてくるところが、相手にとっては「色」と見えてしまいます。

 上段の構えは、竹刀の重心が最頂点にある状態ですから、そこから重心が下方に向かうように振ればよいわけで、わざわざ上に持ち上げる必要はありません。

 構えた位置から竹刀を支えている手の力を抜けば、竹刀は重力によって下に落ちようとします。この下に落ちようとする竹刀の重心点の動きを妨げないようにしながら、右手は重心点を前に押し出すと同時に、左手は柄頭ではなく重心点を中心に竹刀を回転させるように作用させます。

 この感覚を身につけるには、あまり重い竹刀ではなく、できるだけ軽いものを振ってみる方が分かりやすいかと思います。私の場合は、昔は四つ割竹刀の竹二本を向かい合わせてビニールテープでぐるぐる巻いたものを使って素振りしましたが、今は二天一流用の木刀を使っています。この木刀の重さくらいが丁度良いかもしれません。

 手首の力を鍛えるのではなく、竹刀の重心の自然な動き(これは物理学的には、放物線の頂点から下方に向かう後半部分ですが、実際はほぼ直線に近い滑らかな曲線になりますので、竹刀の重心が一直線に相手の胸元に向かうようなイメージを持ちます)を知ることが大切です。

 竹刀の重心が、頂点から下方に向かう放物線に沿って移動し、その移動する重心を中心として竹刀が回転するような手首や腕、体の使い方などを、ゆっくりした素振りの動作で覚えます。何度もやっていると、竹刀(木刀)があまり力を加えなくても自然に動いてくれるような「動きの道筋」の感覚が掴めてくるはずです。それが「太刀の道」です。

 「太刀の道」が掴めたら、今度はその道筋に沿って滑らかに素早く竹刀を移動させる練習をします。このときのコツは、途中の太刀の道を逆に意識しないことです。

 余計な力を入れなければ、竹刀の重心がレールの上を走るように勝手に動いてくれますから、むしろ途中の竹刀の動きのこと考えないで、構えたところから一気に打ったときの状態に意識を持って行きます。

 つまり「構えた」「打った」の2つの意識をまばたきする間に切り替える感じです。この感覚は、空間素振りではなく、実際に竹刀で何かを打ってみた方が分かりやすいかと思います。

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序破急の打ち

 上段からの打突のコツ、それはできるだけ初動はゆっくりで最後の打突を素早くという「序破急」の打ちの感覚を掴むことです。

 これは心の問題になりますが、実は「色」というのは、相手に見えるから「色」なのです。言い換えれば、相手が「色」と認識しなければ、それは自分の「色」にはなりません。

 私が上段の稽古をしていた頃、秋田の奥山範士が「ゆっくり打てば当たるのに、お前は速く打とうとするから当たらない」と、私の目の前に手をすーっとかざしてきて、いきなり額をぴしゃりと叩きました。私は叩かれるとは思いもしなかったので、避けることもしませんでした。

 もしも先生が最初から叩くぞと手を挙げていていたら、私も思わず避けたでしょう。しかし、先生は叩く意志を持って私に向かって手を伸ばしてきたのに、その手の動きがあまりに滑らかで自然だったために、私はその意志が見抜けなかった、つまり「色」が見えなかったのです。

 奥山先生が教えて下さったのは、ゼロからいきなり100にガツンと加速するような打ちではなく、0・1・2・4・8・16・32・・・100というような滑らかな加速の打ち、いわゆる「序破急」の打ちでした。

 力んで速く打とうとすると「速すぎる」と叱られ「ゆっくり打つ」練習ばかりさせられましたので、最初は正直言って「ホントにこれで当たるんかい?」と思っていましたが、不思議なことに力を入れずに滑らかに打っても、やがてだんだんとスピードが出るようになり、最後は相手が居着いたままで打たれてくれるようになりました。

 この滑らかな序破急の打ちは、出だしで「力まず」に力を抜くことと、打突直前に100%の加速をしてピシリと決められる柔軟で粘りのある手の内がコツでした。

 ぜひ皆さんも、この「重力を利用した重心中心の打ち」と「序破急の打ち」を研究してみて下さい。

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上段からの小手打ち

 上段からの小手打ちの要領はなかなか複雑で、文章で表すのも難しいのですが、出来る範囲で書いてみましょう。

 上段からの小手打ちの太刀筋は、自分から見て「ノ」の字を描くような感じになります。中段に構えた時の相手の両小手は、自分から見て「∨」のように見えますね。この相手の右小手、すなわち自分から見ると「\」のようになっている小手を斬るためには、この小手に直角に当たる太刀筋、つまり「/」の方向で斬るのが合理的です。

 ところが、相手が中段正眼からやや剣先を開いて、いわゆる平正眼に構えていて、目の前に相手の竹刀が「\」のように横たわっていると、その竹刀がじゃまをして「/」の太刀筋ではうまく打てません。

 ましてや左上段の場合は、自分の竹刀(大刀)が「/」の角度で頭上にあるわけですから、そこから直接に「/」の太刀筋で打ったのでは、確実に相手の竹刀にぶつかってしまいます。

 そこで、相手の竹刀にぶつからないようにするには、打つときに一度自分の竹刀を相手の竹刀と平行になるような「\」の状態に持って行かなければなりません。そしてそこから手首を返して「ノ」のような感じの太刀筋になるように打つわけです。

 ただ、これを普通にやろうとすると、相手の竹刀の剣先の外側から自分の竹刀を大きく回して打つような打ち方になってしまいがちです。これですと動作が大きくスピードも遅いため、相手に簡単に見破られてしまい、なかなかうまく打てません。

 そこで、できるだけコンパクトに打つためにはどうすればよいかということになります。

 先ずは、頭上に「/」のように構えた自分の竹刀の重心に着目してください。そして、平正眼で「\」のように構えられている相手の竹刀の重心にも着目し、この重心のすぐ下をめがけて、自分の竹刀の重心を通すように振っていきます。

 このとき、竹刀の柄頭を持つ左拳を、構えた位置から「\」の方向、つまり左上から右下に向かって左拳を移動させて行きます。

 すると、振られた竹刀は徐々に「/」→「/」→「|」となりながら相手に向かって行き、相手の竹刀の重心の真下を自分の竹刀の重心が通る瞬間に、相手の竹刀と平行の「\」になるようにします。
■ そして、相手の竹刀の重心の真下を通り抜けたら、直ちに今度は自分の左拳を「/」の方向、すなわち左下の方向に移動して行きます。そしてこのときに左手でバイクのアクセルを回してふかすような感覚で手首を返して行きます。

 すると、結果的に、自分の竹刀は相手の平正眼の構えの竹刀の下をすり抜けるようにしながら、「∨」のように構えられている相手の右小手に対して、竹刀が「/」のようになって当たります。

 自分の左拳の動きのイメージは、「>」のような感じです。

 そして、左拳はこのように動きますが、自分の竹刀の重心点は、相手の竹刀の重心の下をかいくぐるように相手の小手に向かってほぼ一直線に移動して行きます。

 その結果、自分の竹刀の剣先は「S」字を描くような動き方をします。ただ、「S」字と言ってしまうと、また動きのイメージに大きく誤解が生じかねないので、武蔵会では、カタカナの「ノ」の字を描くようにとか、左手に大きな筆を持って富士山の左側の裾野を一気に描くように、あるいは折りたたんだ傘のしずくを払うようにという教え方をしています。

 ようは、自分の竹刀の重心を直線的に相手の竹刀の下をくぐらせるような左拳の動きと打突時に刃筋が寝て平打ちになってしまわないような手首の返し方、返す角度などを研究してみてください。

 これがうまく打てるようになると、相手が平正眼に構えても霞に構えても、どのように構えていても、一瞬で打てるようになります。

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上段からのしかけ技

 上段から攻めて打つ、しかけ技のポイントは、構えた竹刀の重心点の移動方法にあります。

 左諸手左上段の構えでは、竹刀は正中線よりもやや右に偏るために、構えたときの重心点もやや右寄りにずれて、自分のほぼ右肩上にあります。

 重心が右横にずれたこの構えからいきなり打つのでは重心の移動距離が長くなるのと、太刀筋が斜めになるため、あまり効率的ではありません。そこで打突の前に竹刀の重心点を自分の正中線上に持ってくる必要があります。

 そして、打突前のこの重心点の移動が、相手に対する攻めとなります。

 竹刀の重心点を正中線上に移動させる方法は2種類あります。

 その1つは、竹刀を左右の手を正中線上に寄せて、斜めに構えた竹刀を真っ直ぐに立てててる方法です。竹刀の刀身そのものが正中線上にあるため、そこから真っ直ぐに打ち出せば、相手の面を打つことが出来ます。

 もう1つの方法は、斜めに構えた竹刀の柄頭の方向にそのままスライドさせるよう構えた角度を変えずに移動させて、竹刀の重心点が正中線上に来るように移動させる方法です。自分の左拳が左肩前方にあるので、相手の右小手が打ちやすくなります。

 そこで、上段からの攻めは、これら2つの竹刀の重心移動によって行います。

(面を攻めて小手)
 上段に構え、左拳を中央に移動し、竹刀を少し立てて表を攻め、面を守ろうとして竹刀を移動した瞬間に左足を少し出しながら右小手を打ちます。

(小手を攻めて面)
 上段に構え、左拳あるいは左足をやや自分の左斜め前に出すことによって、裏を攻め小手を守ろうと竹刀を開いた瞬間、真っ直ぐ出て面を打ちます。

(面を攻めて胴)
 上段から竹刀を立てて面を攻め、相手の手もとが上がったところを一歩踏み込んで諸手で胴を打ちます。

 そして、これらの攻めを十分活用した上で、もう一つの方法は、

(気位で圧して面)
 上段に構えて、気、体とも充実した状態で、相手を飲み込むような勢いで追い込み、相手を恐れさせて萎縮させ、手も足も出ない状態にして面を打ち、そのまま決めます。

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上段への対応

 中段側が上段を攻めるには、どうすればよいのでしょう。

 上段の攻めの理合で述べたように、上段は「動の構え」ですから、上段を攻めさせないためには、「動」をさせない。つまり動かさないようにすることが大切です。
■ 先にも書いたように、上段に構えて決して動かない打ち込み台は全く恐くありません。つまり、いつ動くか分からないという状況から、今なら絶対に動けないという状況を、たとえ一瞬でも作ってやるのが上段に対する攻めになります。

 上段は片手で打ちますから、中段より遠い間合から打てます。つまり中段にとって打ち間でないところでも、上段からなら打てるのです。つまり中段同士ならば真っ直ぐ中段に構えて動かなければ打たれることはないのですが、上段相手の時には真っ直ぐ構えていても、自分の剣先の届かない間合から打たれてしまいます。ですから上段相手に真っ直ぐに構えることはあまり意味がありません。

 ではどのように構えるか。

 実は、中段よりも打ち間が遠い上段ですが、その遠い打ち間にいても、中段から唯一打てる部位があります。それが前に出ている左小手です。

 上段の打ち間では、中段からはなかなか面には届きませんが、左小手には十分届きます。そこで中段は、上段の左小手に剣先をつけて、この左小手を攻めます。左小手を攻められた上段は、これをかわすためには、左小手を後ろに引くか、柄を下方に下ろして受けなければなりません。

 上段からの振り下ろしの要(かなめ)、すなわち支点となるべき左手の位置を動かして変えてしまえば、その瞬間には打つことが出来なくなります。つまり、いつでも振り下ろせるという上段の攻めの根幹が崩されてしまうわけです。これが居着きです。

 ですからその一瞬に突くことが出来ますし、突きをかばって構えた竹刀を下ろせば面にも隙が出来ます。また、一瞬居着いたにもかかわらず強引に打ってくれば、剣道形五本目のようなすり上げ面も余裕を持って打てます。

 これが上段攻めのセオリーです。

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不動心

 上段の構えの修錬を通して学ぶべきことは「不動心」です。

 「不動心」というのは、どんな場合にのぞんでも泰然自若として、心を動かすことのない状態を言います。言葉の由来は、沢庵和尚の書いた「不動智神妙録」という書物に依っていると思われます。

 この書物には、

   不動とは、我心を動転せぬ事にて候、
   動転せぬとは、毎に留まらぬ事にて候
   物一目見て、其の心を止めぬを不動と申し候

とあります。

 つまり、不動(動かざる)ということは、自分の心を動転させないことだと言っているわけです。そして動転させないということは、物ごとに心を留めないこととも言っています。

 たとえば、上段に構えて相手と対峙します。相手の攻めを読んで、相手が小手を打ってくるかもしれないと思えば、自分の心は相手の小手打ちの攻めに反応して動き、その小手打ちを防御しなければならないという動作を行なおうとして、心は小手の防御に集中し、結果として心はそこに留まります。この時に相手が小手ではなく突きを打ってくれば、反応できなくなります。

 これが「止心」であって、そうあってはならないと沢庵和尚は言っています。相手をひと目見て、相手が小手を攻めてこようが、突きを攻めてこようが、あるいは面を攻めてこようが、そういったことに心を動かされず、その心を一箇所に留めないようにすることが大事だと言ってるわけです。

 しかし、相手が攻めてくるのに対し、こちらが全く動じないで、すなわち動かないでいたら、相手の意のままにボコボコに打たれてしまいますね。これは「不動」ではなく、単なる「居つき」です。

 では、「不動」と「居つき」の違いは何でしょうか。

 たとえば切り立った崖の上に大きな岩が突きだしているという光景を想像してみて下さい。今にも落ちてくるかもしれないこの大岩の下に立つことができますか?。とっても恐いですよね。

 でも、岩は全く意思を持っていませんし、岩が自分で動いたりもしません。つまりこの岩こそが不動であり、この岩のような心が不動心ということになります。

 では、この不動の岩の下に立つことが、なぜ恐いのでしょう。それは岩の心に対して怯えているわけじゃなくて、もしかすると岩が落ちてくるかもしれないと考える自分の心が怯えているわけです。

 つまり、不動心というのは無心であるのにもかかわらず、相手の方がこちらの無心に反応して心が動転し、落ちてくるかもしれない(打たれるかもしれない)と勝手に心を留めてしまう状態のことを言うわけです。

 ならば、この不動心を養うためにどうすればよいかということになります。無心であるはずの岩の心に自分の心の方が動かされしまっているわけですから、逆に自分も岩と同じように無心になれば良いというのは分かるでしょう。

 では、無心になるためにはどうすればよいのか。

 もしも癌かなにかで、あと僅かで死ぬという状況になったと仮定してみて下さい。ちょっと乱暴な設定ですが、医者からあと1時間しか命が持たないと宣告されたとします。

 こういう状態ならば、今にも落ちそうな大岩の下に立つこともさほど大したことではなくなります。岩が落ちてこなかったとしても、1時間後には確実に自分は死ぬわけですし、むしろ岩が落ちてくれた方が癌で苦しみながら死ぬよりも遙かに楽に死ねるかもしれません。

 すなわち、「死んでも良い」と思うことで、「死ぬかもしれない」という状況を作り出している崖に突きだした大岩の下にも平気で立つことができるようになります。こういう気持ちになることを「捨てる」と言います。そして心を捨てれば、その心は無くなります。これが「無心」の状態です。

 自分自身を捨てて、恐怖心から心を解放して無心で崖の大岩の下に立てば、その大岩を冷静な目で観察することができます。

 崖から突きだした岩が今どういう状態にあるのか。落ちてくるのか来ないのか。落ちてくるとすればいつどういう状況で落ちてくるのか。僅かな岩のきしみや周囲の小石の崩れなどにも細心の気を配って的確に状況を把握できれば、仮に岩が落ちてきたとしても、その兆候を瞬時に読み取って間一髪逃れることも可能になってきます。これを「見切り」と言います。

 ですから、見切りの体得は、先ずは捨てるところから始まります。打たれることを怖れず、むしろ稽古ではどんどん打たれて、その打たれる状況を冷静に見極めます。真剣勝負ならば命はなくなりますが、幸いにも竹刀稽古では命まで取られることはありません。打たれた分だけ上達します。

 打たれ慣れれば、逆に打たれる状況を的確に捉えてぎりぎりで見切る技術が身についてきます。更に、打たれるよりも速く上段に構えた竹刀で相手を打ち込めるようになっても来ます。

 こうなれば、今度は相手の方がいつ振り下ろされるかもしれないこちらの上段の竹刀に心が動かされ、崖の上の大岩を見るように恐怖心を抱き始めます。

 こちらは全くの無心・不動であるにもかかわらず、相手の方が勝手に恐怖心に駆られてしまい、その攻めは甘く、打突も腰が引けて、小手を打っても突きを打ってもほとんど当たらなくなってしまいます。

 これが、武蔵の言う「いわおの身」ということであり、「不動心」ということだと思います。

 五輪書「火之巻」には、「岩石の身と云ふ事」という項に、

   いわおの身と云ふは、
    兵法を得道して、忽ち岩石の如くになつて、
    万事あたらざる所、動かざる所。
   口傳。

とあります。


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