[5]剣道の試合

試合の意義

 剣道の試合は、稽古によって習得した技術や理法を活かし、互いに全力を尽くして勝敗を決することによって、心と身体を鍛練することを目的とするものです。

 試合では打ち込み稽古で行う「面打ち」ばかりではなく、師が指導として行なっていた「小手」や「胴」「突き」なども打突部位として認め、相手の理法が間違っていれば、そこを打つことによって互いに指摘し合えるようにします。しかし、あくまで「面打ち」が基本であり主体であることに変わりはありません。

 ですから「剣道の試合」というのは、実戦をシミュレートして、打った打たれたの勝負をするものではなく、稽古によって学び、修練によって身につけた「面を打つ」というための、それぞれの「剣の理法」が正しいか正しくないかを試す機会と考えた方が良いと思います。

 理法が正しければ相手の面を打てます。理法が正しくないと、面を打ったときに相手に小手や胴を打たれます。試合で小手や胴ばかりを打って勝ったとしても、指導者によってはそれを喜ばない場合が多いものです。それは、せっかくの試合で「面を打つ」という自らの理法を試していないからです。

 だからといって、「負けていい」というような、やる気のない態度で試合の望んでは意味がありません。自分の全能力、全技量を傾け尽くして相手と技を争い、結果として勝利しようとするものです。

 また、剣道の大きな目的である精神の鍛錬は、試合によって最もよく達成されますから、時々試合をやってみることも必要です。

[上へ]

試合に臨む心構え

 試合は、自分のそれまでの稽古の進み具合を測る尺度であり、自分と相手との技術や理法を比較し、自分の短所や長所を反省する大事な機会です。試合は勝たなければなりませんが、技にも勝ち、態度にも勝ち、心にも勝てるよう正々堂々と戦いたいものです。

 試合に臨むにあたっては、次のような心構えが大切です。

  1,礼儀を重んじ、試合規則を守る
  2、力一杯の気力と全ての技術を発揮する
  3、真剣に正々堂々と戦う
  4、打突後は必ず残心を示し、体勢を崩さない
  5、常に気力を充実させて、相手の先手、先手と攻める
  6、平常心で戦うようにする

[上へ]

立派な試合とは

 試合ですから勝たなくてはなりませんが、試合が自らの理法を試す場である以上、相手に勝つことばかりではなく、相手の技にも、態度にも、心にも勝たなければなりません。

 特に、「剣道は礼に始まり、礼に終わる」と言われるように、剣道から礼をとれば、もっとも野蛮な叩き合いの競技に終わってしまうでしょう。

 立派な試合とは、試合の意義をわきまえ、勝敗にこだわらず、基本の姿勢や技が保たれていて、無理がなく、剣道の目的が失われないような立合を目指すことです。

 「勝つに卑しき勝ちをとらず、敗れて見苦しからぬ敗けをとる」という言葉があるように、正しい剣道、美しい試合を心がけましょう。

[上へ]

審判の役割

 剣道試合における審判の目的は、試合規則を正しく運用し、「試合による全ての事実を正しく判断し、決定する」ことであると定められています。

 審判というのは、「審らか(つまびらか)に判定する」(くわしく判定する)という意味です。何を審らかに判定するかというと、打突部位、気合、間合、理合、強度、刃筋、残心、姿勢などの要素や条件です。

 そのための審判の役割として、

  1、規則に精通し、目的・趣旨を遵守し、要点を熟知すること。
  2、審判技術の向上に努めること。
  3、有効打突を見誤らないこと。
  4、反則事項を厳格にとること。

などがあります。

 剣道の審判は、適正な試合運営に努め、公正に両者の勝負を判定して、試合の活性化を図ることが大事です。審判員としての責任を自覚し、独善や主観ではない、妥当性と客観性に基づいた自己の心によって判定するよう心がけます。

[上へ]

試合における問題点

 剣道の試合は、その意義を踏まえて正しく行われれば、非常に効果的な稽古法の一つですが、その試合の在り方に関する問題点が剣道界でも指摘され始めています。

 その原因は、現在の剣道試合が勝敗にかかわりすぎることにあります。あまりに勝敗にこだわりすぎ、勝つための剣道になっている傾向が強すぎるからです。そのため基本が崩れ、打突が不正確になって来ています。

 また、理合に適っていない無理な打突や無駄打ち、また引き上げが多く、残心も不足し、どうしても形式に流れがちな傾向があります。

 これはこれまで述べてきた剣道の本質とその目的を見失った結果生じたものだと言えるでしょう。

 特に、学校や剣友会などの各団体で、剣道を他のスポーツ競技と同様に捉え、選手養成に力を注ぎ、勝つための選手の強化をしすぎると、試合技術の向上はみられても、本質的な剣道の良さ、目的が忘れられてしまうように思います。

 本論をきっかけに、ぜひ剣道の本質を見つめ直し、剣道の試合の在り方を再考していただければと思います。

[上へ]


[前頁]   [目次]   [次頁]