[7]居合道と杖道

居合と立合

 居合というのは、立合に対する言葉で、江戸時代においては、居相、抜合、抜剣、抜刀術などと称されてきました。

 「立合」というのが、現代の剣道のように両者が刀を抜き合わせて相対した状態から行うものであるのに対し、「居合」は、刀を鞘に収めた状態、いわゆる平常の「居のまま」の状態にあるとき、敵の不意の攻撃に対して臨機応変に対処し、敵よりも一瞬素早く抜き付けて身を守るという、読んで字のごとく「居ながらにして合わせる刀法」です。

 常住座臥、寸毫の油断もなく、いかなる敵の攻撃にも対処し得る身のこなしと刀法を学ぶため、古流の居合の形には不意打ちや闇討ちなど、現代剣道の観点からはいささか卑怯と感じる技も多く存在します。

 しかし勝負は必ずしも敵を斬り倒して勝つことのみにあるのではなく、居合道が求める究極は「勝負は鞘の内にあり」「抜かぬ太刀の功名」という諺にあるように、刀を抜かずとも敵を威服し勝負をおさめるという「活人剣」にあります。

 居合の始祖・林崎甚助重信が林崎明神に参籠し満願の日に授けられたと伝承されるご神託には「たとい大罪人に直面するとも、刀を抜くな、抜かすな、斬るな、斬らすな、殺すな、殺されるな、話して懇切に説法し、善人に導くべし、万一従わずは詮方なく、袈裟打ちかけて成仏せしめよ」とあります。

 抜刀する前に「鞘の内」の心法をもって敵の心を制し、技の起こりを封じ、体の動き止め、それでもなおかつ敵が斬りかかってくるのなら、一瞬をおかず居合わせて抜刀し、その鞘放れの一刀で勝負を決めるのが居合であると考えます。

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居合の歴史

 居合の始祖とされる林崎甚助重信は、奥州の生まれとも相模国の人ともいわれていますが定かではなく、没年没地も不詳です。

 甚助数え年15歳の頃、闇討ちにあった父の仇討ちを祈願して出羽山形楯岡の林崎明神に参籠し、満願の日に神託を得て夢中に居合の妙技を授かり、後年仇討ちの本懐を遂げたとされています。

 林崎明神は「林崎居合神社」として、山形県村山市大字本飯田193番地に現存しています。

 林崎甚助重信が編み出した刀術は「林崎流」「神夢想流」「重信流」などと称されて伝えられ、その門人には田宮平兵衛業正(田宮流開祖)、片山伯耆守久安(伯耆流開祖)、関口柔心(関口流開祖)などがおり、今日の居合術の根元をなしています。

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全日本剣道連盟居合

 昭和20年8月、敗戦国日本では武道は全面的に禁止されましたが、昭和27年の講和条約発効に伴い全日本剣道連盟が結成され、同29年には全日本居合道連盟も発足しました。

 昭和31年には居合道部として全日本剣道連盟の傘下に加わり、剣道と同様の段位称号制が取り入れられました。

 居合の普及発展と技術の向上に伴い、剣道人にも修練しやすい居合の形を作ろうという動きが始まり、昭和44年に「全日本剣道連盟居合(制定居合)」が制定されました。

 この全日本剣道連盟居合の制定にあたっては、当時の全日本剣道連盟理事長大谷一雄氏が、その解説の序文として詳しく述べています。


全剣連居合道制定にあたって

 剣道と居合道とは極めて密接な関係がある。居合における抜刀や納刀は勿論、刃筋気魄その他手の内などは、剣道人としても参考になることが多いと思う。

 よく世人は「あなたは居合もやりますか」と問う。「やらぬ」といえばその人は不思議そうな顔をするであろうし、問われた本人も内心いささか面はゆい感がするに違いない。

 それ程普通の人々は剣道と居合とは一本のもので剣道人は当然居合を知っていると思っているようである。

 また真剣を持って居合を試みるならば、このごろときどき耳にする「近頃の剣道は竹刀剣道だ」というような非難もうすらいでくるのではあるまいか。

 しかし居合にはいろいろな流派があり、それぞれの本数も多い。従ってその道へ入るにしても一々それをきわめることはむずかしく、また時間的にも問題がある。

 そこで居合道の基本的なもの、技(わざ)としても各派の基本的なものを抜き出し、これを総合して、いやしくも剣道人ならば、少なくともこの程度のことは知っている、そして抜くことができるというようにすることは本人にとってもまた居合の普及の面からも好ましいと考えられるわけである。

 この見地からずうっと以前に、その試みが全剣連でももたれたことがあったが、幸いにこのたびは急速に進展して、「まずこれならよい」という案ができ上がり、それを昭和43年の京都大会で披露するまでに至ったっことは誠に同慶の至りである。

 私は剣道をやる人ならば少なくともこれくらいは心得られたいものと希っている。

 全剣連居合道形の研究制定に当たられた先生方のお話では、基本的なもの(技)は八、九分どおりそれに網羅されているとのことで入門としては充分と思うが、居合道はこれに尽きるものではなく、その技および応用は多岐に亘り、また奥深い精神的な面もあると思うので、多少とも居合道を窮めようとされる者は、この形にとどまることなく古来の流派も併せて研修されることが必要と思う。

 昭和44年5月
                        全日本剣道連盟
                        理事長 大 谷 一 雄

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杖道って何

 剣道は、日本人なら誰でも知っているでしょうが、杖道に関しては「知らない」と言われる方も多いと思います。また、剣道をやっていて「杖道」の名前ぐらいは聞いたことがあっても、それがどのようなものなのか、見たことが無いという方も多いでしょう。

 実は、有名な吉川英治著の「宮本武蔵」空の巻には、武蔵が不思議な杖を使う夢想権之助という武芸者と2度に渡って試合う場面が出てきます。

 一度目の対決は、江戸に向かって旅の途中、お通とはぐれてしまった武蔵がその行方を追っていたところ、彼女の乗っていた牛が繋がれている百姓家を発見し、そこに住まう権之助を誘拐犯と勘違いしてしまったところから始まります。

 少々長くなりますが、参考までに以下に引用してみます。

 権之助の体から突然、四尺余りの棒が噴いて出た。 - 棒が手か、手が棒か、その迅いことは眼にもとまらない。

 武蔵は避けるより仕方がなかった。驚くべきこの男の錬磨と技の体力を前にしては。

 で、一応、
 「おのれ、後に悔ゆるな」
 警告を与えておいて、自分は数歩飛び退いたが、不可思議な棒の使い手は、
 「なにを、洒落くせえ」
 と喚きながら、決して一瞬の仮借もするのではなかった。十歩退けば十歩迫り、五歩躱せば五歩寄ってくる。

 武蔵は相手から跳び開く間髪ごとに、二度ほど、刀の柄へ手をやりかけたが、その二度とも、非常な危険を感じて、遂に、抜き放つ遑すらもない。

 - <中略> -

 彼の振る棒には、一定の法則があるし、彼の踏む足といい、五体のどこといい、武蔵から見て、これは立派な金剛不壊の体をなしている。

 かつて出会った幾多の達人中にも考え出されないほど、この泥くさい田夫の体の爪の先までが、武術の「道」にかない、そして武蔵も求めてやまない、その道の精神力に光っているのだった。

 さて、この一度目の勝負においては、武蔵は権之助の振るう杖の一颯のうなりをかろうじて肩越しに躱して投げ飛ばし、ようやくに勝ちを得ることができました。

 ところが、やがて互いの誤解も氷解した後、権之助はあらためて武芸者として再度の試合を武蔵に望みます。断り切れなくなった武蔵は、今度は真剣での勝負に応じました。

 二度目の勝負は、最後に武蔵のみね打ちが権之助の背中を打ち、権之助は前のめりに倒れて気を失いますが、同時に、武蔵も片手でみずおちを抑えながら、草の中へ、どたっと、腰をついて坐ってしまいます。そして「負けた!」と武蔵は叫びます。

 武蔵のみね打ちが権之助の背に決まった瞬間、権之助の杖も武蔵の水月を突いていたのでした。

 後年、六十余度真剣で試合うも、一度も敗れなかったと五輪書にしたためた武蔵にとって、唯一不覚をとったのが、夢想権之助との立合だったと言われています。

 現在、全日本剣道連盟の杖道部として広く全国に普及している「杖道」は、この夢想権之助が創始し、永く福岡黒田藩に受け継がれてきた神道無想流杖術を基に、現代においてより普及に適した杖道形として昭和43年に制定されたものです。

 これは、「全日本剣道連盟制定杖道形」と呼ばれ、基本12本、杖道形12本から成っています。

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夢想権之助勝吉

 全日本剣道連盟杖道の母体となった神道夢想流杖術の流祖については、神道夢想流杖術第二十六代の統 乙藤市蔵 範士監修 による「天真正伝神道夢想流杖術」(松井建二著)に、次のように記されています。

 神道夢想流杖術は飯篠長威斎家直を流祖とする天真正伝香取神道流の道統七代に当たる夢想権之助勝吉によって創始されたものである。

 夢想権之助は神道流の奥義を究め、さらに鹿島神流の「一の太刀」の極意も授かったと伝えられる。慶長の頃(1596~1615)江戸に出て著名な剣客と数多くの試合をし、一度も敗れたことがなかったが、ある時宮本武蔵との試合で極意の十字留にかかり、進むことも引くこともできずに敗れた。

 それ以来、権之助は艱難辛苦の修行に専念したが、天武天皇の御代より修験者の修法場として栄えた筑前宝満山の宝満菩薩に祈願参籠、満願の夜、夢の中に神童が現れて「丸木をもって水月を知れ」というご神託を得た。権之助はこれをもとにさらに工夫を重ね、ついに宮本武蔵の十字留を破ったと口承されている。

 その後夢想権之助は創始した棒術をもって筑前福岡藩に召し抱えられたとされるが、氏素性、生没年、身分、禄高等明らかでない。
 夢想権之助が伝えた杖術の流儀は、門外不出の掟に守られ、長く福岡黒田藩のお留流捕り手術として、明治の始めまで受け継がれてきました。

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剣道と居合・杖道の関係

 剣道と居合や杖道との関係について、ゴルフを例に説明してみましょう。

 ゴルフで良いスコアを弾き出すには、様々な技術が要求されます。

 ドライバーでできるだけ遠くに飛ばす技術。アプローチショットで正確にフェアウェイを刻んで行く技術。グリーン上の芝目を読んでパットを沈める技術。更にはラフやバンカーから脱出するリカバリーの技術や各ホールをハザードなどを避けていかに攻めるかという戦略的な技術も必要となります。

 一方、剣術の場合も、相手の隙を見てここぞというときに打ち込む技術の外に、正しく刃筋を通す技術や合理的な身体運用で敵の攻撃をかわす(見切る)技術。更に敵の攻撃に応じてそれらを受けしのぎしつつ様々な太刀筋を駆使して逆に反撃する技術など、実戦で勝利を得るためには多くの技術を修練しなければなりません。

 そんな中で、竹刀を用いて互いに打ち合うという剣道の修練で学ぶのに効果的な技術要素は何なのかということを剣道の本質編で述べました。

 たとえば太い巻き藁を一刀両断にするような正しい刃筋と斬激力を身につけるためならば、丸い竹刀で叩き合う剣道の練習は非効率的です。これを学ぶなら、実際に真剣で巻き藁や様々なものを斬る訓練をした方が良いわけでです。

 また、敵の様々な攻撃を見切って、逆に攻撃するための合理的な身体運用やそれに伴う多様な太刀筋の技を学ぶのに、面、小手、胴といった打突部位が制限されている剣道はあまり適していません。

 制限された打突部位を互いに自由に打ち合う稽古をするよりは、様々な攻撃の想定とそれへの対処法をパターン化して、これを何度も繰り返して身体に覚え込ませる形稽古・組太刀稽古などを行なう方が遙かに効率的です。

 そこで、剣道で本来学ぶべき技術要素は、これらの形稽古を十分に修練した上で、これによって学んだ多様な技を出すための最初の一撃、すなわち初太刀の機会を捉える訓練だというのがこれまで述べてきた私の持論です。

 相手の心の動きを読み、一瞬の機会を捉えて打つという形や組太刀のような約束稽古ではなかなか学べない、実戦に即した心理的技術要素を学ぶのが、剣道本来の目的だと私は思うわけです。

 ですから、剣道では、虚実の駆け引きを持って打突の機会を捉えた時点で、その修練目的はほぼ完了しているため、打つのは面だけで十分です。

 敵の攻撃をどのようにかわして、敵のどこをどのように斬るとか、というような相対的な身体運用や太刀筋・刃筋の問題は、本来形稽古や組太刀稽古で学ぶべきものであって、これを学ぶことが竹刀を用いた剣道の目的ではないと思います。

 現代剣道は、形稽古をあまりやらずに、こうした技の稽古までも竹刀でやろうとし、またそれができるものと思ってしまっているところがあります。

 ちょうど忙しくて時間のないサラリーマンが、たまに打ちっ放しのゴルフ練習場に行ってドライバーの練習をしただけでコースに出て行くのに似ています。

 他人が見たら奇妙奇天烈としか思えないようなフォームでドライバーからアプローチ、パットまでこなし、それでもまあそこそこのスコアで上がってきます。

 接待ゴルフとしてはこれで十分なのかもしれませんが、このままではある一定のレベル以上には上達できません。

 プロとまでは行かなくても、シングルかそれに近いレベルを目指すなら、先ずは正しいフォームを身につけ、ドライバーからパットまでに必要な様々な技術要素を一つ一つ学んで行かなければなりません。そしてそれらの技術を全て総合した結果が、ゴルフのスコアに反映されます。

 前置きが長くなってしまいましたが、私は現代剣道家が更なるステップアップを目指し、ゴルフで言ういわゆる「シングルクラス」を目指すなら、古くから先人が研究に研究を重ねてきた古流の形稽古・組太刀稽古を学ぶことは必須であると考えています。

 そして古流には様々な流派がありますが、現状で現代剣道家が学ぶなら、とりあえずは全剣連の制定居合と制定杖道形が最適だと思います。

 ところが、いざ居合道や杖道の稽古を始めてみると、これを剣道に活かすどころか、おそらく剣道との違いばかりが目立って、かえって戸惑ってしまうかもしれません。

 これは、打ちっ放しの練習場でドライバーばかり練習していた人が、グリーンに出てパットの練習を始めると、ドライバーとは全く違うことをやっているように感じるのと同じでしょう。しかし、ゴルフを究めて行くと、どちらも基本は同じことに気づくはずです。

 ある人が、杖道は半身が基本、剣道は正対が基本だから、杖道をやっていると剣道に悪い癖がつくと言いました。しかし正しい半身を知らなければ、剣道における正対の意味するところや、剣術におけるこれらの使い分け分けができません。

 半身を知らない剣道家は、相手の打突を首を傾けて避けてしまいますが、正しい半身の体さばきができれば、首を傾けて姿勢を崩さずとも相手の打ち込みを紙一重で見切りかわせるようになります。

 そういうわけですから、ぜひとも居合や杖道を始められることお勧めします。そして始められた以上は、自分の中で剣道と居合・杖道が一体化するまで、とことんやられることを願っています。

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