- 目の前にある最初の壁
- 二刀修行の難しさ
- 二刀への思いを確認する
- なぜ二刀をやるのか
- 確固たる信念を持つ
- 所属道場での稽古
- 二刀をやるなら堂々と
- 二刀の仲間を持とう
- 経験こそが最良のアドバイス
- 伝統に裏付けされた二刀経験者の集まり
目の前にある最初の壁
剣道二刀流に興味を持ち、「さあ、二刀を始めよう!」と張り切って二刀の竹刀を作ってはみたものの、いざ二刀を持って稽古をしようとした途端に、目の前に立ちふさがる大きな壁に突き当たってしまう人が大勢います。
二刀の修業を始めると最初に突き当たる壁、それは周囲を取り巻く剣道の環境という壁です。この壁を突き破るためには、ものすごく大きな「勇気」が必要になります。目の前に立ちふさがる壁を、この「勇気」を持って突き破らなければ、二刀の修業は始まりません。
二刀で強くなるために、まずはこの勇気を手に入れる方法からお話ししましょう。
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二刀修行の難しさ
二刀の修業を始めようとした多くの人が、始めるとすぐに「二刀修行の難しさ」を思い知らされます。
その難しさというのは、片手に一本ずつの竹刀を持ち、それを左右共に使いこなすという、技術的な面においての難しさではありません。実は現在の剣道界において、二刀の修行は、その修行を続けるということ自体に大変な「難しさ」を伴うのです。
たとえば、ある日突然に「二刀の稽古を始めます」と言ったとしたら、周囲はどのような反応を示すでしょうか?。
おそらく周囲を取り巻く大多数の人々が、
「一刀も満足に使えないのに、とんでもない。」
「そんな回り道をしていると昇段審査で苦労するぞ。」
そう言って反対するでしょう。
まわりの人たちから期待される素晴らしい剣道家であればあるほど、多くの先生方が真剣に反対して下さるはずです。
それに対して、どのように答えますか?
もしも周囲の反対を押し切って二刀の稽古を始めれば、それまで手取り足取り親切に教えてくださった優しい先生が、「二刀にはアドバイスできない」と言って次第に疎遠になってゆくことがあります。
また、「二刀は生意気だ!」とばかりに、めったやたらと突きまくられたり、防具外れを打たれたりということもあります。
中には、「二刀とは稽古しない」という人が現れたり、場合によっては、「二刀では試合に出さない」と言われることもあるかもしれません。
これらは、決して誇張ではありません。これまでにも武蔵会の会員の多くが経験してきたことなのです。
平成の時代に入って学生剣道に二刀が解禁されたとはいえ、現在の一刀主流の剣道界にあっては、まだまだ二刀修行者がのびのびと稽古を続けられる環境が整っていないというのが現状です。
これから二刀の稽古を始めたいと考えている方々には、まるで水をさすような言い方になってしまいますが、二刀修行の道は決して平坦なものではなく、「稽古を続ける」ということ自体に大変な困難を伴う「いばらの道」であるということだけは、どうかあらかじめ知っておいてください。
もちろん、その「いばらの道」を乗り越えてでも、その手につかみ取るべき素晴らしいものが、二刀修行の先にあることは確かです。それを信じて、二刀の道を歩み始める人たちをこそ、武蔵会は応援しサポートしてゆきたいと思っています。
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二刀への思いを確認する
前述したように、二刀に興味を持ち、二刀の稽古を始めても、多くの場合は周囲の理解を得られないままに反対され、結局挫折してしまうケースが少なくありません。
そして挫折してしまった人の中には、今度は逆に二刀を邪道扱いして非難し始めるケースも出てきてしまいます。こうなってしまっては、二刀に興味を持ったこと自体が結果的にマイナスになってしまいますし、他の二刀修行者たちにとっても喜ばしいことではありません。
そこで、二刀の稽古を始める前に、まずは自身の二刀に対する思いを再度確認してみることが大切です。
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なぜ二刀をやるのか
剣道二刀流に興味を持ち、これから二刀を始めてみようかな?、そう思った動機をまずは確認してみましょう。
「二刀って格好良いな。あんな素晴らしい剣道をやってみたいな。」
「二刀の修練を通して、より幅広い剣道の技術を身につけたいな。」
このような動機でしたら、その人の二刀の道が途切れることは少ないでしょう。この先どんな困難にも打ち勝ち、素晴らしい剣道家に成長して行く可能性があります。
しかし、もしも心の片隅に、
「一刀は下手くそだけれど、二刀だったら上手くできるかも。」
「一刀では試合に勝てなかったが、二刀なら勝てるんじゃないか。」
こんな気持ちがほんの少しでもあるようでしたら、二刀を始めるのは少し待った方が良いかもしれません。
武蔵会が推奨する剣道二刀流というのは、二刀を用いた戦い方を追求するための二刀流ではなく、二刀を用いた修練を通して、剣道に必要な技術要素を学ぶための二刀流です。
先に説明したスキーに例えるならば、コブだらけの急斜面を両足を揃えた華麗なフォームで滑り降りるためには、片足一本でも斜面を滑り降りられる技術を身につけていなければなりません。その技術を身につけるために、両スキーを開いて滑る練習から始めるというのが私たちの二刀流に対する考え方です。
つまり、二刀と一刀は全く別のものではなく、互いに共通するものです。あえて言うならば、二刀は一刀を包含し、二刀の技術の一部を洗練させたものが一刀の技術なのです。
このことをきちんと理解し認識していなければ、二刀の稽古は始められません。一刀と二刀が全く別のものだと思ってしまうと、二刀が上手く出来なければ、結局また一刀に戻ってしまうことになるのです。
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確固たる信念を持つ
二刀と一刀は共通する。二刀は一刀を包含する。と述べましたが、二刀の稽古を始めるということは、今まで一刀の稽古ではやっていなかったことをやることになります。
どんな人であっても、経験の無いことを初めてやって、いきなり上手くできるはずなどありません。必ず失敗します。そして混乱します。
一刀で上手く出来ないことは、二刀でもやっぱり出来ません。
一刀で試合に勝てない人が、二刀で試合に勝てるようにもなりません。
スキーで両足を揃えて滑ることの出来ない人が、片足で滑ることはもっと出来ないのと同じです。ですから「一刀はだめだけど二刀なら」という思いで二刀を始めてしまうと必ず挫折します。
しかし、片足で滑る技術を身につければ、両足で滑ることは簡単にできてしまいます。言い換えれば、両足を揃えて滑る技術には、片足で滑る技術が不可欠であり、片足で滑る技術を持たない両足の技術は偽物なのです。
剣道も同じです。二刀の技術を修練するということは、一刀に必要な技術を二刀を通して学んでいるだけなのです。ですから二刀に習熟すれば、一刀はもっと簡単にできるようになってしまいます。
二刀を始めるにあたっては、このことを十分に理解し、たとえ二刀の修練がどんなに苦しく辛くても、それがいつかは必ず二刀と一刀という垣根を越えて、自身の剣道技術全般の向上につながるものだという確固たる信念を持ち続け、焦らず、あきらめず、自分自身を信じて稽古に励むことが大切です。
そうすれば、
「一刀も満足に出来ないのに、二刀なんか出来るわけがない。」
「二刀ばかりやっていると一刀がだめになる。」
というような批判をされても、それに惑わされることなく、自らの信念を貫いて、二刀の道を堂々と歩むことが出来るようになります。
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所属道場での稽古
武蔵会では、「二刀を学びたい」と入会を希望してくださる方々に対して、次のような質問をしています。
Q1
『あなたが所属されている道場や剣友会で、二刀の稽古を許してもらうことができますか?』
Q2
■ 『どんなに周囲から反対されても、あなたは二刀の修練を続ける強い意思がありますか?』
すると、ほとんどの場合、次のような答えが返ってきます。
「私の所属する道場では、二刀の練習はさせてもらえないけれど、武蔵会の稽古で二刀の理合を学んで勉強し、それを自分の道場での一刀の稽古に活かして行けるよう頑張りたいと思います。」
お気持ちはよく分かります。また、何度も述べているように、武蔵会の二刀流は二刀のみの技術として完結するものではなく、広く一刀にというよりも剣道全般に通じるものですから、二刀の理合を一刀に活かすという点については間違いではありません。
しかし、二刀の理合が一刀に活かされるのは、二刀を死にものぐるいで修練した結果としての話です。武蔵会の稽古では二刀を使い、自分の道場では一刀を使うという考えでは、結局どっちつかずの状態となり、いわゆる「二兎(刀)を追う者は、一兎(刀)をも得ず」ということになってしまいます。
二刀の修練を始めようと決心したら、いっときは一刀を捨て、いつでも、どこでも、誰が相手でも、常に二刀をとり続ける強い意思が必要なのです。そして、その二刀の修練を続け抜いた先に、はじめて一刀と二刀に共通する理合が見えてくるはずです。
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二刀をやるなら堂々と
二刀に理解を示してくださる先生がいない道場や剣友会で二刀の修練を始めるには相当の勇気が必要です。
しかし、自分がそれまでお世話になってきた道場や剣友会、そこの剣友や先輩方、先生方に対して、自分自身が二刀を一生懸命に修練したいという情熱をぶつけ、それを理解してもらうことが出来なくて、どうして二刀のいばらの道が歩めるでしょうか?。
自分が普段稽古をしている所属道場や剣友会などで、二刀の修練が出来る稽古環境を自分自身の手によって作り上げるということは、二刀を始めるにあたって最初にやらなければならない必要最低条件なのです。
もしも本気で二刀をやろうとするのなら、どこに行っても堂々と二刀をやっていただきたいのです。あっちでは二刀をやるけども、こっちでは一刀しかやらないというように、周囲に隠れてこそこそと二刀の稽古をするようなことでは、決して上達できないということをご理解いただきたいと思います。
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二刀の仲間を持とう
二刀の稽古を始めるといろんな悩みが生じます。
「片手打ちが上手くできない」
「小刀の使い方がよく分からない」
というような技術的な悩みはむろんのこと、
「合同稽古で、高段者の先生に二刀で稽古をお願いしたら怒られた」
「試合で、竹刀がちゃんと当たっているのに全く旗を上げてもらえない」
などなど、ある意味で理不尽とも思えるような悩みを抱えてしまうこともしばしばです。
このようなときに、一人で悩みを抱えてしまって悶々としていては、二刀の修業は停滞してしまいます。
実は、二刀の修業途上で生じる悩みは、そのほとんどが二刀修行者共通の悩みなのです。ですから、その同じ悩みを共有できる仲間がいれば、その悩みは半減されます。
「こんな悩みを持っているのは自分だけじゃないんだ」
そう思うだけで、ずいぶんと気が楽になるでしょう。それに多くの仲間がいれば、その悩みを克服した方法も必ず見つかります。
何かの目的を持って新しいことを始めようとするときには、その目的を同じくする仲間の存在ほど心強いものはありません。二刀で強くなろうと思ったら、まずは同じ二刀の仲間を持つ努力をしてみましょう。
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経験こそが最良のアドバイス
二刀を執っていると、いろんな先生方から助言や指導を頂くこともあります。しかし、そのアドバイスを鵜呑みにしますか?。
「小刀は、こう使いなさい」
「大刀は、ここを握ってこう構えなさい」
「こっちの足を出して、もっと半身になりなさい」
等々、いろんな人がいろんなアドバイスをしてくれると思いますが、そのアドバイスを全てまともに受け取ってしまったら、迷いに迷って悩みがますます増えてしまうだけです。しかも、そのアドバイスの主が二刀の経験者ならまだ良いのですが、ほとんどの場合は二刀の経験のない人たちです。
剣道は、段位による序列が厳しい世界ですから、上の段位を持つ人は下の段の人にアドバイスをするのは当然であり、下の人はそれに従うべきものという風潮があります。もちろん、それが剣道の良さでもあり、伝統的な技術というものそのようにして次世代に伝えられてゆくものです。
しかし、二刀の経験のない人が、二刀に関するアドバイスをしても、それは説得力を持ちません。そのアドバイスは、その人の経験に基づくものではなく、あくまで想像のものか、あるいは経験のある人からの聞きかじりのものでしかないからです。
極端な話をすれば、二刀経験の全くない八段の先生のアドバイスより、実際に二刀の修業をしている初段の人の話の方が的確である場合も多いものです。それほど経験というのは大事です。ですから、二刀を学ぼうと思ったら二刀の経験のある人の話を聞かなければなりません。
経験者のアドバイスを受けなくても、全くのゼロから独学で二刀を研究したいという人もいるかもしれません。しかし、全ての二刀修行者がみんなゼロから二刀の研究を始めたのでは二刀の技術は一向に進歩しません。
先人が試行錯誤を経て10年かかって築き上げた二刀の技術を、その経験をもとに弟子に伝えれば、弟子は5年でそれを習得できるかもしれません。その弟子が更にその先5年かかって築き上げたものを、先のものと合わせて次の弟子にまた5年で伝えます。
このようにして技術は進歩してゆきます。それが伝統の力です。
二刀で強くなるためには、経験のある人のアドバイス、つまり伝統の力が必要なのです。
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伝統に裏付けされた二刀経験者の集まり
武蔵会は、全国から集まった二刀経験者の集まりです。そして、そこには宮本武蔵から連綿と伝えられてきた二刀兵法の理合、すなわち伝統の力の裏付けがあります。
とかく孤独になりがちで、修練上の悩みを抱えてしまいやすい二刀の修業において、目的を同じくする全国の仲間たちと交流し、さまざまな思いを共有することは、大きな励みと力になります。
また、こうして築かれた仲間同士の絆は、それぞれの人生においてもかけがえのない大切なものとなるはずです。
私たち「二天一流武蔵会」と共に、厳しくも楽しい「二刀の道」を歩んでみませんか?。
円明流継承者が読み解く 武蔵『五輪書』の剣術
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